イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから彼らに息を吹きかけていわれた「聖霊を受けなさい。」(ヨハネによる福音書 20:21-22)

管理牧師 司祭 グレース 神崎和子

 「聖霊降臨」とは聖霊が私たちに与えられた、私たちに降ったということです。そしてしばしば「聖霊」という言葉を私たちは使います。ではこの「聖霊」とは何でしょうか。「霊」という言葉はヘブル語では霊と翻訳出来るだけでなく、「風」とか「息」とも訳されます。創世記2章7節「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」ここに見られるように古代語は一つの言葉で沢山の意味を持っていました。

 このように見ていきますと「霊」からもう少しイメージが広がってゆくのではないでしょうか。そしてもう一歩広げて考えてみますと、この元のことばから「動くもの」あるいは「動かすもの」という内容が浮かんできます。つまり息にしても、風にしても、目には見えないけれど「何かを動かす力あるもの」というイメージが見えてくるのです。

 「聖霊」とは、神の霊が動かす、そのような動的な働きそのものをあらわしているのではないでしょうか。

 もう一度創世記に戻って見てみますと、創世記2章に人間の創造について書かれています。神が土(アダマ)であったものに息を吹きかけると土から「人」(アダム)が創造されました。神の命の息、霊が吹き込まれるとすべてが動きだすのです。

 福音書もこの命の息、聖霊について記されています。十字架上で主イエスが亡くなり、弟子たちはすっかり打ちのめされていました。家の戸に鍵をかけ、心まで閉ざしていました。その弟子たちの真ん中にイエスが立たれて『「あなたがたに平和があるように、父が私をお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい」』(ヨハネによる福音書20:21-22)。

 イエスから聖霊を受けた時から弟子たちに大きな変化が起りました。イエスを見捨てて逃げてしまったという、後ろめたさ、絶望感から死んだようになっていた弟子たちの群れが、起き上がったのです。イエスによって与えられた使命に向って動きだすのです。これは命の息がイエスによって弟子たちに吹き込まれたからです。

 このことは聖霊が常に私たち人間と共にいてくださること、共に働いて下さることを示しています。私たちが何らかの行動を起こしその方向をさだめようとする時、聖霊は必ず私たちの側にあってその行く道を示して下さるでしょう。祈りと共に私たちが一つの決断をする時、聖霊の働きが私たちに及んでくるとそう信じます。

 聖霊によって起こされた弟子たちのように、聖霊の働きと導きを信じて、遣わされてゆきましょう。 

 

 

大斎節 信徒の証しから

昨年に続き、今年も大斎節に5人の信徒の方に証しをお願いしました。イースター号では、河野正司さんが投稿してくださいましたが、今回は承諾をいただいた山田奨さんの原稿を掲載いたします。

新しい教会の取り組みに向けて

バルナバ 山田 奨

 おはようございます。山田 奨です。教会委員会の中で、大斎節中に信徒の証し についてお話をとのご指名をいただきまして自分と、この教会のことについて少しお話をさせていただきたいと思います。

 私は、物心ついた頃には親に連れられ、日曜日にはこの教会に来て遊ぶというのが既に生活の中にありました。今はこのように冴えない感じではありますが、こんな自分にも黄金時代というのがありまして、明るくて活発で、口を開けば立て板に水のごとくでしたし、走ればクラスで一番でした。幼稚園生の頃の話です。それからの人生はずっと下り坂みたいなものでして今はこんな有様ですけれども。
 小さい頃の自分は、それはもう相当わんぱくなものでした。1階のホールにある鉄製の柱にロープを引っ掛けて輪を作り、ブランコのようにして遊んでいました。ターザンごっこと称しては椅子を3段にも積み上げたところから、そのロープに飛び乗ってスポンジ素材の大きなソファーにダイブしていたことを思い出します。今、子供たちが同じことをやっていたらすぐに止めさせているでしょうね。 
 そんな小学校2年生の頃、サーバー奉仕をしてみてはという話がありました。私は3人男ばかりの兄弟の真ん中で当時はまだ3兄弟揃って日曜学校に来ていた時期でした。兄と弟にはなく、自分にだけサーバーをということでしたので、あまりにもわんぱくで落ち着きがなかったため、少しでも落ち着きを身につけさせようという親または教会からの配慮があったのではないかと思われます。

 そのような感じで教会に通い始めてかれこれ30年、サーバー奉仕を始めて20余年になりますが、私自身は決して熱心なクリスチャンではありませんでした。教会に出席するのもサーバー奉仕の日だけ、月に1度か2度。自分から聖書を開いたこともなければ、つい去年までは会衆席で通常の礼拝を受けたことがなかったくらいでした。堅信式の際もきちんと聖書を学んではいませんでした。中学生の頃、兄と自分に同時にそろそろ堅信式を受けてはどうかという話がありました。兄のほうは高校の部活が忙しいだのなんのといってうまく断るわけなんですね。横でそのやりとりを聞いていた自分の方には特に話もなかったものですから、自分の堅信式の件も一緒にご破算になったんだなと思っていたのですが、ある時週報の今後の予定欄に来週、私の堅信式があると掲載されていたんですね。びっくりしました。そんな訳で堅信式に向けてもきちんと聖書を学んだことはありませんでした。

 そのようにあまり熱心なクリスチャンではなかった私ですが、先生方を始め、教会員の皆さんはいつも暖かく迎え入れられてきました。10代後半にふらふらとアルバイトばかりして生活していた時期にもそれまでと変わりなく迎え入れられてきました。月に1度か2度、サーバー奉仕のために教会に来て、数時間だけを過ごして帰っていく、たったそれだけのことが何十年か続いてきただけなのですが、この教会と教会員の皆さんとの関係の中で信頼感、安心感を与えられ、自分では気付かないうちに自分も同じようにこの中に受け入れられたいとして成長してきたのではないかと思います。

 ですが、今のこの教会、残念ながら危機に瀕しています。年々、高齢化が進み、これまで長年教会を支えてきた方が何人もこの世を去っていき、礼拝に出席したくても出席できないご高齢の方も何人もいらっしゃいます。それに比べると新しい方が入信されるケースというのはごく稀です。また経済的な状況から言っても、自分たちの教会運営に必要な資金を自分たちの献金だけでは賄いきれておりません。大赤字とまではいきませんが、積立金を一部切り崩して運営している状態です。また、この聖堂が竣工したのも1967年で既に45年が経過しています。もう何十年かすると、建て替えの検討を行わなければなりませんが、今現在ではその建て替え費用を積み立てる力がない状態です。この次の世代へ教会を受け継ぐことができるのか非常に危ぶまれる状況なのです。

 この渋谷の地にこの教会が設立されてからすでに百数年が経過しています。この間にはこの短い時間では語りつくせないほどの忍従を強いられてきた歴史があったと思います。特に戦前、戦時中を通じて教会に対する政府からの圧力、社会からの圧力は相当なものだったはずです。日本聖公会の場合は、特に欧米宣教師とのつながりが深いとされ、その教会員はスパイ容疑の目でみられてきたとも言われています。この教会もその忍従の時代を乗り越えて、1つの世代から次の世代へ次の世代へと今日に至るまで引き継がれてきたわけです。
 私たちは、この偉大な遺産を次の世代へ引き継ぐ責務を負っています。
 今、この時代においては東日本大震災への復興支援活動、またはこの教会でも活動されている野宿者支援活動など、教会は外に向かって積極的に関わりをもっていくことが求められています。今、この教会を取り巻く苦難を乗り越えるためには、これまでのように教会の中でただひたすら忍従するということではなく、教会の外に向かって新しい一歩を踏み出す勇気が必要なのではないでしょうか?
 戦前、戦時中の苦難を乗り越えてきた教会が、まさに時代に必要とされている時期に自らを支えきれずに自沈してしまうことは何としても避けねばなりません。この先この教会を次の世代に残していくためには今こそ何かをしなければいけない時期なのではないかと思うのです。

 多くの日本人にとって、キリスト教は悪いというよりは、むしろいい印象を持たれているのではないかと思います。そのために、クリスマスを祝ったり、教会で結婚式を挙げたりすることが一般的にも受け入れられているのではないかと思います。ただし、実際のところ、キリスト教が何をしているのかよく分からないし、不気味だと感じている方が多いのではないのでしょうか。
 これはつまるところ、教会に対する数々の誤解と教会に近づくことへの敷居の高さがそうさせているのではないかと思います。教会に対する誤解を解くことと、教会に近づくことへの敷居を取り払っていくことが今の教会には必要なのではないでしょうか。
 私自身、聖書を勉強してこなかった、キリスト教自体についてほとんど何も知らないという負い目から、教会運営ということについてはあまり参画してきませんでした。ですが、せっかくこのように皆様とお話をする機会を与えられましたので、教会に対する誤解を解くことと、教会に近づくことへの敷居を取り払っていく活動について考えた3つのことをお話させていただきたいと思います。

 1つ目は、この礼拝堂に見学者席を開設することです。教会のスタンスとしては、興味のある方は誰でもいつでも見学に来てもいいし、礼拝の途中でも帰っていいし、みんなと同じようにひざまずいたり、祝福を受けたりしなくてもいいですよという認識でいるのですが、初めて教会に足を踏み入れる方にとっては、礼拝ってどんなことをするのだろう?途中で帰りたくなっても帰れないのではないか?といった不安を持っているものだと思います。明示的に見学者席を用意し、礼拝への参加は自由ですとHPに掲載することで初めて教会にみえられる方は少しでも安心できるのではないかと思います。

 2つ目は、教会に対するさまざまな誤解を解くことです。学校や職場などでは私がクリスチャンであることを周囲の人間は知っていますのでさまざまな質問を受けたことがあります。
 「一度クリスチャンになったらやめられないのか」
 「クリスチャンだからお酒やタバコは禁止だろう」
 「クリスチャンの間では黒い服は不吉だから着てはいけないのだろう」
などと本当におかしな誤解が多いです。私が「今度教会でみんなの前で話をすることになったんだよ」と話せば、「あ~、よく駅前でマイクもって喋ってるアレか?」と言われたりもしました。
 これらの誤解に対して、教会員の間ではそんなことはないのになあと笑い話にはなりますが、実際には教会の外ではそのくらいの誤解がたくさん溢れているわけです。教会を知らない方たちに向けて誤解や偏見をなくすようなQ&A的なものを有志のメンバーで作ってHPに掲載するのもいいのではないかなと思っています。

 3つ目は、現在、教会に興味を持った方への対応についてです。今までは、メールや電話で教会について興味を持った方から連絡があっても全部先生方に対応をお願いしていましたので、忙しい時間の中、見ず知らずの方にそこまでの時間は割けられない事情もあって、とりあえず、日曜日の礼拝に来てみてくださいという対応になってしまうことも一部あったのではないかと思います。
 これを先生方にまるっきりお任せするのではなく、信徒の側でも担っていきたいと思うのです。先生の代わりに電話でお話する、メールで疑問に答える。また、いきなり教会へ出向くのは何をさせられるのか怖い、不安だという方については、有志の信徒が2、3人で相手が指定した駅前の喫茶店などでお話を聞く、相手の疑問に答えるといった活動を行ってもいいのではないでしょうか?この活動は非常に労力を必要とし、精神的にも負荷の高いことだとは思いますが、教会について興味を持ってくれた方にとっていきなり教会に来ること、礼拝に参加することというのはとてつもなく高い敷居があることを考えると教会員として担う価値のある取り組みではないかなと思います。

 聖書のこと、キリスト教のことをろくに知らずに僭越にも、この教会は危機的状況であるとか、新しい取り組みをしてはどうかというお話までさせていただきました。しかしながら、この数年の間にこの教会も大分変わってきているなとの実感もあります。先生方のお働きがあってのことです。これからは先生方だけにお働きいただくのではなく、教会員の側でもその負担を担って教会運営を行っていく必要があると思うのです。その意味においては、定住の先生のいない現在の状況というのは困難な状況でありながらも教会員にとっては学ぶこと、気付くことの多い機会であり、教会が新しい一歩を踏み出すいいチャンスになるのではないかとも思います。
 次の世代、現在の日曜学校の生徒たちのように若い世代に教会を受け継いでもらうことを希望に、教会員の皆様と先生方と新しい教会の取り組みを始めたいと思っています。以上です。

 

2012年4月からの牧会態勢について 

教会委員会

 東京教区の教役者4月人事によって当教会の牧会態勢が変わりました。管理牧師が神崎和子司祭であることは今までと変わりませんが、嘱託司祭として、日常の牧会を担っていただいていた関正勝司祭が聖ルカ国際病院勤務となりました。当教会には協力司祭として聖公会神学院のチャプレンでおられる成成鍾(ソン・ソンジョン)司祭が任命されました。しかし、成司祭は聖公会神学院の職務として神学生の日曜実習に付き添う必要があって、毎主日当教会に主日勤務することができません。そのため、大畑主教と神学院と協議をして第2主日と第4主日は成司祭が、第3主日は神学院校長の広谷和文司祭が勤務してくださることとなりました。教会委員会が開かれる第1主日は神崎司祭がおいでいただきますので問題はないのですが、年に数回あります第5主日の手当てが教区ではつきませんでした。そこで、教会委員会は当教会出身の大先輩である福沢道夫司祭(退職)に主日の礼拝をお願いしたところ、快くお引き受けいただきました。このような経緯がありましたが、今年度は毎主日おいでいただける司祭様が決まり、当教会は聖餐式が守れることとなりました。牧師館に定住する教役者がいない状況ですが、神崎管理牧師をはじめ協力司祭の成先生、広谷先生、福沢先生が協力をして私たちの教会を司牧してくださることになりました。先月は広谷司祭が瀧澤さん、中本さん宅を訪問してイースターのご聖餐をお持ちくださいました。東京教区では5年後には10人もの聖職者が定年退職をなさいます。当教会のような定住教役者のいない教会が多くなる状況となっています。当教会はひと足先にその状況を経験することになりましたが、私達は諸先生方のご指導とご協力のもとに教会活動を進めてまいりたいと存じます。

主日の担当司祭

  • 第1主日 管理牧師 神崎 和子 司祭
  • 第2主日 協力司祭 成  成鍾 司祭
  • 第3主日 広谷 和文 司祭
  • 第4主日 協力司祭 成 成鍾 司祭
  • 第5主日 福沢 道夫 司祭

 

教区合同堅信式のご報告

 4月1日(日)復活前主日に教区合同堅信式が聖アンデレ主教座聖堂において、午後3時から行われ、当教会のパウロ青木紀和兄とパウラ青木美菜姉が教区主教様から按手を受けられました。当教会の信徒で按手に与ったのは実に4年ぶりのことでありました。当教会の2名の他、聖アンデレ教会から3名、三光教会から1名、大森聖アグネス教会から1名、目白聖公会から3名、神田基督教会から1名、清瀬聖母教会から1名、聖ルカ病院チャペルから1名、神愛教会から1名の教区内の信徒14名の方々が一緒に受按されました。

 式にはご両人とご子息の他、教父母である山田親さん、布川悦子さん、平林今日子さん、山田奨さん、山田益男が教会から一緒に参列し、神崎和子先生と関正勝先生もお出で下さいました。両親が祭壇前に進む間、栄作君が泣いて騒ぐのではないかと心配しましたが、式中はずっとベビーカーですやすやと眠ってくれていました。式後、受按者と主教を中心に各教会ごとの記念撮影がなされました。        

 文責 山田(益)

◆個人消息、報告

◆    6月16日(土)、ミカエル合唱団が「渋谷区合唱祭」に参加し、ヴィバルディの「グローリア」から三曲を演奏しました。同じ曲を8月5日の「ミニコンサート」でも披露する予定です。 

◆    6月18日から20日に亘って、箱根で「教区教役者宿泊研修」が開かれました。管理牧師の神崎司祭と山田(益)さんが発題者として参加しました。

◆    6月26日(火)から、聖職候補生塚田重太郎さんとご家族が滞在します(奥様と幼児4名)。英国留学中の塚田さんはビザ更新手続きのため、夏休み(7-8月)期間一時帰国となり、その間の仮住まいとして、ミカエル教会の牧師館を使用させてほしいと教区主教より要請があり、承諾しました。

◆7月-9月の予定

7月15日(日) 教会大掃除 恒例の大掃除を行います。多くの方の参加をお願いします。終了後、「ご苦労さん会」を行います。
7月28日(土) 大森アグネス教会デイ・キャンプ 「ミカエル教会の方もどうぞ参加してください」というお招きをいただいています。多くの教会員の方の参加を希望します。
8月5日(日) オープンチャーチ 初めての方でも教会に入りやすい環境を作り、教会はいつでも開かれていることを近隣の方にお知らせしたいと思います。また礼拝後には、「ミニバザー・ミニコンサート」を開きます。ケーキ等の献品をお願いします。さおり織りの体験コーナーも開催します。
9月22日(土) 教区フェスティバル 香蘭女学校にて、13時から。
9月23日(日) 主教巡回日 愛餐会があります。