主は弟子たちに言われた。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」‥‥マタイによる福音書第28章19節

今日の日本人の多くは、神様を信仰するという気持ちを持っていません。この方々は目に見える(五感に感じ取れる)世界だけを確かなものと認識して、日々の生活を送っています。人間は知性・感性を備えた高等な生物と認識しているものの、生物という存在である故に、この世(時間と空間の領域)でのみ生きる存在であると認識しています。人は肉体的存在だけでなく心を持っていることは認めますが、人格(霊なる自己)を肉体とは別物であるとは認識せず、心は肉体の一部である脳の働きと認識し、肉体の死と共に消滅すると理解しているようです。とういうことは、多くの日本人にとって死はすべての終わりということになります。

このような意識をもつ現代日本人に主イエスの福音を伝えるには、教会の従来の伝統的な宣教手法は不適切になっているといえるのではないでしょうか。今の教会が語るメッセージは、宗教的土壌の上に育っていない今日の多くの日本人の心に届いていない。その結果として若い人の宗教への関心が薄れ、若い信徒及び聖職者の減少の現象が顕著となっているように思えます。キリスト教は、神に造られた人間がどのように生きれば、その人がその人としての命を得ることが出来るのかを示す「道」であると言えると思います。ここでいう「命」は生物学的なものではなく人格の存在そのものといって良いかと存じます。教会はその道が神の御子が肉体をもって「人の子」となり人性を取って真理・福音を伝え、贖いの業として十字架上に死に、この世の死が人の消滅ではないことを示す復活の出来事によって整えられたことを伝えることにその使命があるのですが、今の教会は、自然科学の確実性に重きを置いて生きている現代の人々には理解できない昔の表現で一方的にそのメッセージの発信をし続け、結局のところそれが荒唐無稽の内容としか受け止められていないように思われます。何人も知性・感性が備えられた人間として生かされていることを踏まえ、信仰をもつ者も持たない者もこれは確かな事実であると共通理解ができるところを出発点にして発信しなければ、神の福音を現代の日本人に伝えることは不可能ではないかと思われます。