第32話 沖縄愛楽園の方々との出会い

2010年7月18日

私が長屋形態の夫婦舎に住んでいるある夫婦を訪ねた時のことです。

タンスの上から巻かれた茣蓙をもってきて縁側に敷き、どうぞここに座ってくださいこれはあなた方社会の人しか使っていませんからというのです。

「社会の人」という言葉がとっさに理解できず「ええ私は学生ではなく社会人です。」と頓珍漢な返事をしたことを覚えています。

しばらくの間をおいて「私たちは社会から隔絶された入園者で、あなた方は一般社会で生活している人」という意味であることを理解しました。

病気がうつらないことはよく承知していますからそんな気遣いは無用ですよといって茣蓙を巻いて返しました。

すると、今度は封を切っていない袋詰めのお菓子を出して勧めてくれます。

自分たちは触っていませんから安心して食べてくださいということです。

入園者の方が健常者に如何に気を遣い自分を小さくして生きてこられたのか、想像するだけでも痛ましいことでした。

入園者の方の部屋を訪問しますと、よくおいでくださいました、冷蔵庫にビールを冷やしておきましたからそれを取ってここに座って飲みながら話でもしていってくださいといわれます。

手先が不自由なため自分で冷蔵庫を開けて運ぶことが困難な方が多いため、自分でお取り下さいというのです。

しかし、ビールをご馳走になって無駄話をしてきたのでは面目が立たない、聖ミカエル教会の信徒としてこのボランティア活動に参加した以上、何か入園者の役に立つことをして帰らなければと思うものですから、目の不自由な方のところでは何か読んでほしいものはありませんかとか、手の不自由な人のところでは手紙を代筆しましょうとか、やたらと親切の押し売りをしたものでした。

今にして思えば、当時はまだ外の社会との行き来が少なく、園内に閉じ込められた状況の入園者の方々にとっては、何かしてもらうというよりはどんなことであれ一般社会の様子を少しでも知りたいとの思いがあり、我々とは向かい合ってじっくりと話がしたかったのだと思います。

私達は何か役に立ちたいと思う気持ちがはやって、園の方々が実際に望んでいたことに十分応えていなかったように思えます。

この病気は末梢神経の麻痺から起こります。痛い熱いという感覚が麻痺していますので、火傷をしても怪我をしてもとっさに危険から手を守る行動がとれません。ですから指先を失っている人が多いのです。

また、視神経を侵される人も多く盲人の比率が高いのです。

不自由者センターに入居しておられたU氏は盲人であるだけでなく耳もほとんど聞こえませんでした。私たちが部屋を訪ねて声をかけますが、いつも返事をしないで後ろを向いたまま座っています。

気むずかしい人なのだと思い私たちは敬遠して訪問を控えておりましたが、この方は耳も聞こえない、コミュニケーションの取り方は背中に大きく字を書くとよいと教えてくれる人がおり、仲間のT君がU氏を訪問し会話を交わしてきました。どんな会話をしてきたのか聞いて驚きました。

「今の天皇は誰か?」(昭和48年当時)という質問で、「裕仁天皇」と背中に字を書いて答えると、「あの方はまだ天皇をしているのか」とつぶやいたというのです。

目が見えず耳もほとんど聞こえない中で生活されていたU氏には新聞やテレビは勿論、ラジオも役に立ちません。

外界からの情報入手の術が限られ、背中に字を書いてもらうことでわずかに他者とのコミュニケーションはとれるのですが、その厄介な作業を人に強いることを遠慮され、生活上必要最小限の事柄以外ヘルパーの方に問うこともしなかったのでしょう。

本病のため家族知人から隔絶され、仲間の入園者や職員との対話さえ困難であった中で生きてこられたこのU氏、隣に入居され盲人でありながらなにかとU氏の世話をされていたK姉、すでに亡くなられたこの心優しいお二人のことが思い出されます。

30数年前聖ミカエル教会の青年たちが参加し、ボランティア活動と称しながら、楽しく遊び、沢山のことを学ばせていただいた愛楽園は、我々にとって人の生き方、生きる姿勢を教えられたまさに人生塾と呼ぶに相応しいところでありました。