第4話 祈りとは

2009年5月10日

 日本人が神社仏閣に参じて、祈るという行為をするとき、その「祈り」の内容はまず祈願するという色合いが強いように思われます。

 

また、そのお願いが適ったときのお礼参りということもなされている。

 

祈願内容は所謂、無病息災、家内安全、商売繁盛(仕事の成功)、死者の霊の平安、合格祈願、良縁祈願といったところがイメージされます。

 

しかし、キリスト教が勧める「祈り」では神様へのお願いということよりも、「神の御心を聴く」ということが重要とされています。

 

先に、「祈り」とは「神様との交信」であると申し上げました。

 

交信ですから一方向通信ではなく、双方向通信形態であると考えて頂くとよいと思います。

 

すなわち、人は神様に対面し、問題の問いかけをすると共に、その問題についての神様の導きを聴くという形態であり、この「神様に聴く」ことが祈りにおいてはより重要とされています。

 

イエス様は「祈り」に関し次のように教えておられます。

 

神様(天の父)は何がその人に必要であるかは既にご存知であるから、くどくどとお願いをしないでよろしい、ただ次のように祈りなさい。

 

(マタイ6:9-13)といって祈りの模範スタイルを示して下さいました。

 

この祈りは「主の祈り」と呼ばれ、キリスト教会は2000年前から今日に至るまで、キリスト者が日々の生活の中で極めて重要な祈りとして用い続けてきたものです。

 

因みにこの主の祈りは以下に示すものです。

 

 「 天におられるわたしたちの父よ、

 み名が聖とされますように。

 み国が来ますように。

 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

 わたしたちの日ごとの糧(かて)を今日も お与えください。

 わたしたちの罪をおゆるしください。

 わたしたちも人をゆるします。

 わたしたちを誘惑におちいらせず、

 悪からお救いください。      アーメン」

 (日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳)

 

 なお、キリスト者の祈りは最後に「アーメン」と唱えますが、この「アーメン」はヘブライ語で「まことに、本当に」という意味の言葉です。

祈りの最後にこれを唱えるのは「本当にそう思います。」という祈る者の意思表示なのです。

 

 ところで、神様との交信における発信器(聖霊の導き)の性能は確かだけれど、受信機(人間の感性)の性能はかなり怪しい。

雑音の混入により本来の信号が歪んで受信されて(神様の声が間違って聞えて)しまうことが儘起こる。

そこで、複数の人と共に一緒に祈るということが重要となるのです。

 

個々の受信情報が歪んでいても多数の受信情報を突き合わせれば、雑音に埋もれた信号(神様の声)が判別し易くなり、雑音を取り除いて本来のメッセージを再生する作業が可能となるからです。

 

イエス様は「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」マタイ18:20といわれました。

 

これを小生の70点メッセージで解説すれば、

キリスト者は個人の祈り(神様との直接対話)も大事であるが、

呼び集められた者の群れ(教会:エクレシア)の中で共に祈ることが重要である

といっておられるのです。