弟子たちの死者の中から甦ったイエスの名によって語る宣教は大祭司らのユダヤ教幹部による迫害を招きながらも多くの人々を改心させ、彼らの信仰集団は信徒の数を増やしていったと使徒言行録は伝えています。十二弟子(使徒)たちの働きは多忙となり、助手(ディアコノ)を選任することになるのですが、その時選任された一人であるステファノが最初の殉教者となります。彼は知恵に優れ、霊の賜物を備えた人であったとのことですが、その説教が大祭司らのユダヤ教幹部の妬みと怒りを買って、石打の刑に処せられてしまいました。ステファノは主イエスに倣って「主よこの罪を彼らに負わせないでください。」との言葉を残し、雄々しく殉教したと聖書は記しています。このことから、この時期の信仰集団(原始キリスト教団)には、死をも恐れぬ信仰が芽生えていたことが分かります。

聖霊の導きのもとで次第に事の真相を理解していった弟子たちでしたが、彼らには彼らの限界がありました。主イエスの宣教命令は「世の隅々にまで福音を伝え、すべての国民を弟子にすること」でありましたが、主イエスに従っていた弟子たちの多くはガリラヤ出身者でいわばユダヤの田舎育ち、ユダヤ社会を越えた異邦人への宣教ができる人たちではありませんでした。イスラエルは神様に選ばれた特別の民であり、選民は割礼を受け、律法(トーラ)を遵守する者でなくてはならない。ヤッハウェーはイスラエルの神であり、割礼を受け律法を尊ばない異邦人の神ではないという意識の枠を越えられませんでした。そこで、神様は異邦人伝道の担い手となる人材の必要性を認められ、サウロ、後のパウロを新たな使徒として召し出されたと思われます。

このサウロという人物は先のステファノ事件にも関係しており、使徒たちの信仰集団を弾圧する立場に立っていました。ダマスコの諸会堂で使徒たちの信仰集団の信者たちを捕えてエルサレムに連行しようと、ダマスコに向かう途中で復活の主イエスと出会います。使徒言行録によれば、突然天から光が照射されてサウロは地に倒れ「サウロよ、サウロよ、なぜ私を迫害するのか」との声があり、「あなたはどなたですか」と問うと「わたしはあなたが迫害しているイエスである。起きて町に入りなさい。そこでなすべきことが示される」との声があったと記述されています。その時、サウロは閃光を見て視力を失っていて主イエスは復活の御姿をサウルに顕されていません。サウロ(パウロ)と主イエスの出会いは、弟子たちへの顕れ方とは様子を異にしています。もっともサウロは主イエスと面識がないので、御姿を見せられたとしても主イエスとはわからないからそうされたと言えなくもありませんが、昇天された後であるためそのような形であったと考える方が自然でしょう。サウロは三日間、目も見えず飲食もしなかったと聖書は記しています。主はアナニアを遣わし、サウロに洗礼を授けると共に、聖霊を降し召された。この出来事を通してパウロは回心し、教団を弾圧する側から支持する側に立場を反転させたと聖書は伝えています。しかも、パウロは聖霊の導きの中で徐々に福音を理解していったのではなく、そのダマスコで直ちにイエスがメシアであると宣言し、宣教を始めたと記されていますから、その回心は劇的なものであったといえるでしょう。

パウロはもともとベニヤミン族の出身で、ガマリエルという律法学者のもとで学び、トーラを熟知していたファリサイ派のインテリであって、性格は激しく潔癖で、弁舌の立つ理論家であったということです。純朴で無学であった十二弟子たちと大きく異なる才能を備えていた人物といえます。律法主義者の権化であったと思える彼が、どうして突然、「人は律法を遵守することではなく、主イエスへの信仰によって義とされる」という福音理解に切りかえられたのかは我々の理解を超えていると言うべきでしょうが、この劇的な回心の原因は、主イエスとの出会いが極めて衝撃的で、視力を奪われた三日間の試練期間の後、その時まで、イエスに属する人たちに敵対し積極的に迫害する者であったにもかかわらず、その自分が赦され召されたことによって、それまで彼が確信していた律法に基づく価値観を粉々に打ち砕かれたことにあろうかと推測されます。ともあれ、彼がこの信仰集団に加わったことで、原始キリスト教団の中で、主イエスの出来事の神学的理解が一層整理されることになったであろうことは想像に難くありません。

更に、パウロの信仰理解がイスラエルの選民意識に穴を開けるものであって、割礼の有無が信仰者の適格要件の基準とはならないとしたところに、教会史上重要な意義があったと言えると思います。割礼を受けていない者はヤッハウェーの民ではないので、信徒にすることはできないとするユダヤ社会の常識を超えることができなかった主イエスの直弟子たちに代わり、このパウロが起用され、彼によって異邦人宣教が展開されたことによって、ユダヤ社会の壁を越え父なる神様はイスラエル人だけのものでなく、すべての人間の神であるというキリスト教信仰の基礎が確立されたと言っても過言ではないでしょう。

今回まで、6回にわたって、弟子(使徒)たちを目覚めさせたものは何であったのか、迫害や死をも恐れずに宣教を貫く信仰者となれた原動力は何によって与えられたのか、その経緯を検証してきましたが、それは十二使徒にしてもパウロにしてもその決定的な出来事は「復活された主イエスとの出会い」にあったということは間違いありません。人間にとって肉体の死がすべての終わりでは無いことをご復活の主イエスが示され、受難に際し主を見捨て逃げ隠れした自分たちを咎めもせず、主イエスがシャロームと挨拶し受け入れてくださった出来事を通して、すなわち、父なる神の真実の愛を自らの躓き・罪を梃子にして主イエスから教えられたこの体験が、彼らをして人間にはこの世の命より大切なものがあるということを知らしめたものと推察されます。