第8話 愛というキリスト教の律法

2009年6月7日

イエス・キリストがたった一つに集約された「愛せよ」との戒律はキリスト教の本質でありますので、愛について少しく考えてみたいと思います。

「愛」という言葉は、私たちの日常の場で盛んに使われていますが、皆様はどのように理解されているでしょうか。

例えば「私はあなたを愛しています。」という言葉から私たちは通常男女の恋愛感情を連想します。

この場合の「愛」は「好き」「恋い慕う」という言葉とほぼ同義語です。

この他「親子の愛」「兄弟愛」「友愛」「師弟愛」「同志愛」等が使われます。

いずれの場合も、愛にはその対象があって愛する主体はその対象に対して「愛する」という思いを持つという点で共通しているといえるでしょう。

この「愛する」という思いは深まるとその対象を単に「好き」という観念を越えて「とても大切なもの」と捉えるようになり、大切と思う故に「自己を犠牲にしてでも」その対象に尽くしたいという気持ちにまで昇華されるようになります。

私自身の言葉として愛の定義を試みてみれば、「愛の対象が本来の姿となることができるように主体が自己犠牲をも厭わず支援する心」と言えるように思います。

このような思いがギリシャ語の「アガペ」という「惜しみなく与える愛」の概念であってキリスト教が教える「愛」に相当するといわれます。

これと対照的に恋愛における「愛」は対象である相手に「求める感情」を伴い、ギリシャ語の「エロス」という概念であるとし、キリスト教の愛とは異質であるとよくいわれます。

確かに恋愛は片思いでは成立しませんから、相手も又自分を愛して欲しいとの熱い思いとなるため、「エロス」的色合いが強く出ますが、その成熟の過程で「アガペ」的愛をも備えるものとなると私は思います。