第11話 人間の欲求

2009年6月28日

アメリカの心理学者であるアブラハム・マズロは、人間の欲求は5段階のピラミッドのようになっていて、底辺から始まって徐々に1段階上の欲求を志すという説を唱えました。

なるほどこの説はもっともらしいと私は思っています。

すなわち、その人間の欲求の5段階とは

「(1)生理的欲求→(2)安全の欲求→(3)親和の欲求→(4)自我の欲求→(5)自己実現の欲求」

とされています。

生理的欲求と安全の欲求は,人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求であり、のどが渇けば水を求め、空腹となれば食を求め、危険に脅かされれば安全を求めるといったことです。

親和の欲求とは、人は一人では生きてゆけず他人と関りたい、他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求です。

自我の欲求とは、自分が属する集団(社会)から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める認知欲求のこと、そして、自己実現の欲求とは、自分の能力、可能性を発揮して創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求のことです。

人生の意味を考察する哲学や宗教の領域はこの第5段階に属するものといえるでしょう。

人は誰しも活動(仕事)に生き甲斐を求めるものであり、団塊世代などの真面目な日本人は仕事人間としてがむしゃらな生き方をしてきました。

組織人であれば組織内でより権限をもって運営に参画し、自分の思うように活動したい。

そのためにはできるだけ高いポストに座りたいとの思いから、他者に後れをとらないようにと停年までひたすら走り抜いたという方も多いでしょう。

しかし、年齢が進み、組織から外れ上司の評価から開放されてみると、あれは一体何だったのだろうかと疑問を抱いた方もきっと居られるでしょう。

家庭をもっと大事にすればよかった、子育て時期にもっと子供達と向き合う時間を持てばよかったなどと、ちょっぴり悔いておられる方も居られるのではないでしょうか。

日本人にありがちな働き過ぎはよくない、自分を見失う危険があるとキリスト教は教えています。

そこで、教会は日曜日を主日と決め、主なる(自分の主人である)神を思う日、すなわち神様と向きあい自分を取り戻す日とすることを勧めています。

「忙」という漢字は「心を失う」と書きます。

古代中国でも賢い人は夢中になって働きすぎることの危険性を知っていたのです。

人から尊敬されたいとか、社会から価値ある存在と認められたいといった第4段階の「自我の欲求」から、抜け出すのはなかなか難しいことかもしれません。

しかし、いずれ遠からず迎えることになるこの世との別れの時までに、人の評価よりも大事となる自分が本物の自分となって朽ちない存在に成長しているかどうかが心配ではないでしょうか。

人間であるならば自分探しと自己確立をめざして第5段階「自己実現の欲求」に進みたいものです。