第27話 自然現象に神の業を見る

2009年11月29日

 前回、「世の光となりなさい」という主イエスのみ言葉について考えました。今回は一寸横道にそれるかもしれませんが、光るという「発光現象」に着目し、光はどのようにして放出されるのかを考えてみたいと思います。小生は学生時代あまり真面目に勉強したとはいえませんが、物理学を専攻しました。社会人となってからはその基礎知識をベースに自然法則を利用した技術的思想の創作、つまり発明を扱う特許の世界に身を置いて歩んで参りました。自然法則、自然現象を対象とした研究結果を扱う仕事に携わる中で、自然現象に神の業を垣間見たと感じて深く感動した経験がありました。それは物質が光る「蛍光」という物理現象でした。その現象に着目しているうちに「あれー、これは人が輝いて見えるという現象と同じメカニズムだ」と思えたからです。このような自然現象、あるいは動物たちの姿・形や行動などを観察しますと私達が生活しているこの世界は実に見事に創られていると感心してしまいます。後者については動物の進化や自然淘汰の結果だとして簡単に片付けてしまう方も居られますが、小生はとてもそれだけとは思えず、うーん見事に創られていると感じ入ってしまいます。

 さて、物質が光るという「蛍光」現象ですが、まず蛍光体の発光メカニズムを簡単にご説明しておきますと、蛍光は母体結晶の中に散らされた発光元素の働きによって起こります。発光元素の中心部には原子核があって、その原子核の周りを電子が、ちょうど太陽の周りを惑星が公転するように軌道を描いて廻っていますが、その軌道は1つではなく、水星の外側を金星が、更にその外側を地球がというようにエネルギーレベルを異にした軌道が複数あります。元素の種類によって周りを巡る電子の数と、軌道毎に存在できる電子の数は決まっています。電子が低いレベルの軌道から順に詰められた形態で収まっている状態を基底状態と呼び、その元素の最も安定した状態であります。ところが、この元素に外部からエネルギー(蛍光現象の場合は主として紫外線域の光)が与えられますと電子は元の場所にじっとしていられなくなって、自分の居た軌道より上のレベルの軌道に飛び出していきます。このような元素の状態は活性化された態様であり励起状態と呼ばれます。上位のレベルの軌道に飛び出していった電子は暫くすると元の低いレベルの軌道に帰ってきますが、この際に eV=hν という関係で光を放出します。位置エネルギーを光のエネルギーに変換して放出するのです。上式においてeVとはエレクトロンボルトすなわち、エネルギー量を表します。hというのはプランクの定数と呼ばれ、一定の値です。νは放出される光の波長を表します。光の波長とは色に対応するものと理解してください。因みに可視光の領域で長い波長の光は赤、短い波長の光は紫となります。高いレベルの軌道と低いレベルの軌道との位置エネルギーの差がeVとなるのですが、各軌道の位置エネルギーは、それぞれの元素の種類毎に決まっているため、元素は自分特有の波長νの光を蛍光として放出します。ですから放出された光の波長(色)の分布を解析すればその元素が何であるのかが分かるのです。少々理屈っぽくなってしまって済みません。ここで、着目して頂きたい現象は、基底状態にある元素は極めて安定していますが、決して光を放つことがないのに対して、励起状態の元素は活性化された状態にあり、電子が飛び出し/戻る過程でその元素特有の色の光(蛍光)を発することになることです。

 人間について考察しますと、周りの環境で起こる出来事に関心を示すことなく、自分の居場所にじっとしている人は危険に遭遇することもなく、本人は極めて安全でありますが、決して人々を喜ばせたり励ましたりすることはありません。これに対して周りの環境で起こる出来事に関心を持ち、出かけていって一働きした後に本来の自分の居場所に帰ってくる人は、その経験した出来事を周囲の人に伝えることとなり、社会に味をつけ、光を放つことになります。小生は蛍光という物理現象に着目する中で、人間も生きている以上基底状態ではなく、活性化された励起状態でいないとならないと感じると共に、この物理現象はそのことを見事にモデル化し教示していると感動したのでした。この現象において、光を放つための1つの重要なポイントは電子が元の低いレベルの軌道にちゃんと帰ってくることです。鉄砲玉のように飛び出していったものの、すぐに他に目移りがして余所にいってしまい自分の本拠地の定まらない人の働きは、そこで経験した出来事を周囲の人に伝えることに繋がりません。そして、自分の居場所に戻った電子は軌道のレベル差に対応した特有の色の光を放つことになりますが、人間においてはまさにその人の個性が反映された味となり光となって周囲に影響を及ぼします。そして、光を周りに放出する現象を起させるエネルギー源は元素の中から出てくるのではなく、外から与えられる励起光であることは、人間において外に働きに出かけるためのエネルギー源は自分の中から湧いてくるのではなく聖霊の導き(神様の呼びかけ)であることに対応していると私には思えます。このように人が世の光とされるメカニズムは物質が光を放つ現象の中に見事に対応しモデル化されているように小生は感じましたが、皆様はどう思われますか?