主イエスに従う中で、弟子たちは主イエスが語る神が、ユダヤ教の教える律法や神殿によって権威付けされた、厳しく人を裁かれる旧約の神ではなく、限りない愛をもって人々を見守り導く「愛の神」であることに驚きと新鮮さを感じ、そのメッセージを福音として受け止めたものと思われます。「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」であるとか、「あなたの罪は許された」という赦しの宣言など、当時のラビ(教師)たちが語る律法に即した話とは大きく違い、律法を超えたその教え(メッセージ)は律法学者のようではなく、権威ある者としての教えであったとマルコは伝えています。

また、訪れる町々では、社会の片隅で小さくされて生きている人々に目をとめられ、寄り添い、病人や障がい者、更にはあらゆる患難を背負っている人々を癒されました。具体例では重い皮膚病(ハンセン病)を患う者、悪霊に取りつかれた者、盲人や聾唖者、身体障がい者など、主イエスは、社会の片隅で小さくされて苦しみを負って生きている人々を見て深く憐れみ、放ってはおけずに神の愛をもって癒されたのでした。ところが、人々は病気や苦しみによる躓きを取り除くことによって、神の愛を知り、神と人とを愛する健全な生き方をしてほしいと願った主イエスの御心を理解することなく、苦労から解き放たれたという即物的なこの世の恵みにしか関心を示しませんでした。この人知を超えた業をなさる様子を間近に見て、弟子たちは主イエスがメシアであると確信を強めていったものと推定されます。

この様な活動をされていた主イエスに対し、多くの人々が関心を示すと同時に、ユダヤ教の指導者達からは危険な人物と敵視されていきます。律法学者やファリサイ派の人々はイエスを貶めようと罠を仕掛けた論争(税金は誰に納めるべきか?とか姦淫の現場で捕まえた女を石打の刑にすべきか?など)を挑んできましたが、主イエスはその都度、叡智を働かせて論破してしまいました。この対応にも、弟子たちは主イエスの秀麗さに感服させられたものと推察されます。

弟子達が主イエスはメシアであると信じていたことはマタイ福音書の16章13節以下に「弟子たちに『人々は、人の子のことを何ものだと言っているか』とお尋ねになった。弟子たちは言った『洗礼者ヨハネだと言う人も、エリアだという人もいます。ほかに、エレミアだとか預言者の一人だと言う人もいます。』『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』シモン・ペトロが『あなたはメシア、生ける神の子です。』と答えた。」と端的に記述されています。
しかし、弟子達メシア像は当時のユダヤ人たちが想定していたメシア像の域を出ることはなかったと思われます。弟子達は近いうちにこの世の権威が打ち倒され、主イエスが王となる神の国がこの世に実現されると考えており、その時には弟子の内で誰が一番上の重臣に抜擢されるかを言い争っていたと聖書は伝えています。主イエスの宣教に同行した弟子達も主イエスの福音メッセージと主イエスの役割を正しく理解していなかったことが分かります。

主イエスは、人々が奇跡(しるし)にばかりに関心が向き、この世の即物的なご利益ばかりを求めることを嘆かれました。また、ローマ帝国の支配からの解放を期待する人々の求めに主イエスは応えることはせず、身を隠されました。期待するメシア像と現実の主イエスとの落差に失望し、去って行った多くの弟子達がいたことを聖書は伝えています。

残された弟子達にしても、受難の時が近づくに連れてかつて律法学者やファリサイ派の人々をやり込めたり、病人を癒し死者を復活させたような頼もしさが影をひそめてしまった主イエスに、期待しているメシア像との落差を感じ、不安と失望を感じていたのではないかと推察されます。しかし、彼らは時が来ればこの世の権力を打倒して神の国が実現される逆転の時が来るはずとの期待を残して従っていたと思われます。