前回は、人間がする理解・判断・行動のメカニズムを考察し、人が経験の内に培ってゆく判断基準なるものが、その人の存在そのものを意味づけるほどに重要なものであると申し上げました。今回は人の判断基準がどのようにして形成されていくものであるかについて考えてみたいと存じます。
判断基準の基となっているものは経験によって蓄積された知識と良心であると言えるように思えます。人は成長過程で親をはじめ周りの人々や学校等の教育機関を通して沢山の学びをし、知識を構築してゆきます。単なる知識だけでなく、してよいことと悪いことという道徳観や社会規範のようなものをも教えられ、納得できたものを身に付けてゆきます。良心は生まれながらに人の基本機能として備えられているとはいえ、磨きをかけないと正しく機能しないもののように思えます。その磨きには育つ環境における道徳観や社会規範が大きく影響するように思います。そのことは、道徳観念の低い環境で育った子供達は高い倫理観が育ちにくいという現象があることから容易に推察できます。また、幼児期に大人たちから十分な愛が注がれない中で育った者は、他者への信頼感が持てず、成長過程で反社会的行動に走るというケースもよくみられるところです。
人は成長過程で培われてきたそれぞれの価値基準、判断基準に従って、その時点でのケースを判断し、自らの選択をしつつ人生を歩みます。その価値基準、判断基準は、人それぞれに違い千差万別であるといえますが、かなりの部分では「常識」といわれるような共通する基礎部分があるようです。
幕末から明治にかけ、封建制から脱却して近代社会への変革に貢献した福沢諭吉は、その著書「学問のすすめ」の初編に以下の言葉を記しています。
「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。」
この諭吉のリベラルな考え方は、現在でも多くの日本人に受け入れられる考えではないでしょうか。前半の言葉、人には「生まれながら貴賤上下の差別」がないということは、現代では言うまでもない常識となっていますが、士農工商の封建的身分制度が撤廃されたばかりの当時にあっては、新鮮な宣言であったのでしょう。注目すべきは「万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。」という後半の言葉です。「万物の霊」とは万物の中で最もすぐれたものとして作られている「万物の霊長」(出典は政治史・政教を記した中国最古の歴史書「書経」にある言葉)を意味していると解され、人間は要するに、「万物の中で最もすぐれたものである人間は、身と心を持つものであるが、他者の妨げとならないことを原則として基本的に自由であるべきで、身と心の働きを駆使して天地にあるすべての存在を資材とし、衣食住の要を満たして各自が安楽に生活してゆくこと、これが人生のあるべき姿である。」という考えです。
これは、現代の多くの日本人の考え(常識)と大差がないといえるかと思います。しかし、「安楽な人生」についての考え方はとなりますと、人によって千差万別となるのではないかと思われます。すなわち、「安楽な人生」を単に苦労をしないで、楽しい一生を送ることと考える人もいれば、充実した意味ある人生と考える人もいるでしょう。第40話でお話しましたように、幸せな人生についての考えは、日本人とブータン人では相当に違っているということになります。