これも25年ほど前になるでしょうか。フィリピンの北部山岳地方でのボランティア活動を行なった学生達の体験話です。学生達は夏休みを利用してフィリピンの北部山岳地方の村に奉仕団として出かけていった。貧しい農村で子供達はまともに教育が受けられない状況にあった。学生達は村の基盤整備を行い、子供達に読み書きを指導する計画である。基盤整備といっても学生達に大きな工事が出来るわけではない。山道を整備し小川に掛かっている腐れた丸木橋を新しい丸木で架け替えるなどの内容である。現地に到着し明日から奉仕活動に取りかかろうとしていた晩に、彼らの宿舎に一人の古老が現われた。彼は日本からやって来た若者達をにらみつけ、「お前達は40年前この村で何があったか知っているのか?日本の兵隊が女性や幼児にまで乱暴し、殺害・略奪などの非道を行なっていったのだ。」と怒りを露わにまくし立てたうえで、多くの村人が殺害された現場に彼らを連れて行き、日本人の悪逆非道を罵ったとのことでした。学生達はただただ頭を垂れ、身を固くして聞いていたとのこと。その晩は、皆暗い気分に包まれ、眠られぬ夜を過ごしたそうである。朝となって、気を取り直しそれぞれの持ち場に散って予定していた活動を開始した。彼らの奉仕活動に村人達は概ね好感を持ってくれ、文字を教えてもらった子供達も学生達を慕ってくれたそうである。予定期間の活動を終え、帰国するときには村人達から感謝され、暖かい見送りを受けた。これに気をよくした学生達は翌年も奉仕団を結成して再びこの村を訪問することになった。ところが二年目の最終日の前夜に、かの古老が再び学生達の前に現われたのである。学生達は緊張し、身を固くして古老を迎えた。その時、古老が彼らに向かって発した言葉はなんと「君たち、来年も又この村に来てくれるかい?」であったそうである。
おそらく、この古老は許すことの出来ない恨み骨髄の日本人、その同類と思えた学生達を当初は何をしでかすのかと冷たい目で遠くから観察していたものと推察される。2回にわたる彼らの奉仕活動を見守る中で、この学生達に昔の残虐非道な日本人の姿はなく、40年前の日本人とは異なる人間であることを理解していったのでしょう。汗を流して村の環境整備を行ない、子供達に読み書きをお教え、村人達との信頼関係を築いていった学生達をさわやかな青年として受け止めることができていったものと解されます。彼の中での日本人像は徐々に変化し、憎しみが氷解していったに違いありません。
この古老のように決して赦せないという強い思い、憎しみが凝り固まって植え付けられた人の心を溶かしたこの出来事は、23話でお話ししました「赦す」という人間の行為、和解への道について深い示唆を与えているものと小生には思えます。