過ぎ越しの食事(所謂最後の晩餐)の席でとうとう十二弟子の一人イスカリオテのユダが主イエスに見切りをつけました。このユダの裏切りについて聖書は、悪魔がユダに入って主イエスを裏切って売り渡したとだけ述べ、ユダの心情を語っていません。おそらくは、いつまでもローマの圧政に立ち上がる気配を見せない主イエスに、しびれを切らしてこのような行動に出たものと推察されます。主イエスが処刑されるという判決が下ったことを知ると、受け取った銀貨を投げ返し、自ら首をくくったということから、彼は祭司長らに売り渡しても、主イエスが死刑になって殺されるとは予想していなかったと思われます。ひょっとすると、祭司長らに逮捕されて窮地に立たされれば、主イエスも重い腰を上げてローマ帝国やヘロデ王そしてユダヤ教勢力といったこの世の権力を打倒し、神の国建設に取り掛かるものと期待していたのかもしれません。
十二弟子の代表格であるペテロとヤコブ、ヨハネは、晩餐の後、主イエスに従ってゲッセマネの園についてゆきます。この時、主イエスは「わたしの時が来た」と覚悟され、園で一人父なる神様に向き合い祈ります。苦しみ悶えながら「できることなら、この盃を過ぎ去らせてください。」「過ぎ去らないなら、御心のままになさってください。」と祈られた。そのような緊迫した時であることをついてきた弟子達は全く気付いておらず、晩餐後の心地よい疲れの中で眠り込んでしまいます。三年もの間寝食を共にし、旅を続けてきた弟子達もこの期に及んで、主イエスの果たされるメシアとしての役割を全く理解していなかったことが分かります。
ユダが引率して祭司長らの派遣した群衆がやってきて、主イエスはその連中に捕縛され、大祭司の館に連行されてしまった。この時、弟子たちは主イエスを見捨ててみな逃げてしまったとマタイ・マルコ福音書は記述しています。一旦は逃げ出したペテロでしたが、主イエスの最高法院での取り調べと、その後の処置が心配であったので、後について大祭司の館に紛れ込んではみたものの、イエスの弟子ではないかと問われたペテロは「イエスを知らない」と三回も否定してしまいます。そのあとで鶏が鳴き、先に「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主イエスの言葉を思い出してペテロはその場から外へ出て泣いたと聖書は記しています。この時のペテロの心情を推察すれば、先生を裏切るようなことはしない、どんなことが起きても死ぬまでお供をしようと思っていた自分が、先生を見捨てて逃げてしまったという痛恨の裏切り行為に泣き崩れたペテロではありましたが、大祭司の館に立ち戻り、最高法院で自分が主イエスの弟子であることを公言し、主イエスの無罪を証言する勇気はなかったと思われます。
翌朝、主イエスはピラトに引き渡され、無理やり政治犯に仕立てられて十字架刑に処せられました。自ら十字架を刑場まで背負い、侮辱と嘲りを受ける中、何の抵抗もなさらずにされるがままに死んでいかれました。この間のペテロをはじめとする男性の弟子達の行動は聖書に記述されておらず、彼らが主イエスの十字架の道に付き添ったとは考えられません。イエスに従った女性たちが遠くから見守っていたとだけマタイ・マルコ・ルカ福音書は記しています。ただ、ヨハネ福音書だけは母マリアと他の二人のマリアそして愛する弟子(ヨハネを暗示)が十字架のそばに来て主イエスと言葉を交わしたと記述していますが、これは福音記者の創作ではないかと思われます。ヨハネによる福音書は他の共観福音書より後世に、キリスト教神学の基礎が確立された時期に書かれたものであって、かつこの福音書はヨハネの影響を強く受けた教会で用いられてきたものであることを勘案すると、ヨハネの立場を擁護する内容が加えられたものと推察されます。実際には弟子達はみな、主イエスの身を案じつつも神様の特別な力が働いて主イエスが無事に帰還してほしいとのかすかな期待を抱いて、人目を恐れ、ひそかに隠れていたのではないかと小生は推察しています。しかし、何事も起こらずに十字架上で死なれたことを人づてに聞かされた時は、彼らは神様から遣わされたメシアがどうしてこんなことになってしまうのか全く理解できず、頭の中は真っ白になったであろうと推察されます。この時、神の国が主イエスによって実現されるという期待は無残に打ち砕かれ、絶望のどん底に突き落とされたに違いありません。しかも、主イエスを見捨てて逃げてしまった自分を恥じ、自己嫌悪に苛まれながら、しばらくの間、失意のうちにも、自分達に累が及ぶことを恐れて、身を寄せ合って密かに隠れていたものと思われます。