最近、「就活」ならぬ「終活」という言葉をよく聞きます。人生の終末を意識してその準備をしておこうということのようです。その内容は、エンディングノートに末期症状がこのような場合には延命治療はしないようにとか、お墓を準備し、葬式・埋葬はこの様に行ってほしいとか、臓器などは必要な方に提供するとか、遺産はこの様に処理してほしいとかの遺言を書き残しておくことが勧められています。これは残される遺族や関係者に迷惑をかけないようにとの配慮からなされるようです。回復の見込みのない中で家族に過度の負担をかけたくない、遺産を巡って遺族たちによる骨肉の争いなど決してしてほしくない、脱ぎ捨てた肉体も社会の役に立つなら役立ててほしい、これらの気持ちはよく理解出ます。そして私もお墓のことは別として、そのような準備をしておこうと思っています。しかし、今行われているこの種の「終活」は、この世の後始末について考えていますが、その人自身の人生のまとめについてはあまり考えられていないようです。中には、この世に残るすべてのものについて整理をつけたなら、後は趣味など堪能して余生を安楽に過ごしましょうなどと勧めているものもありますが、基本的にその人自身の人生を総括する点には無関心であるように見えます。それは、人の死は全ての終わり、すなわち、この世の人生を終えれば人は無と化すだけの存在と思っているからではないかと思われます。

キリスト教会では「死」は全ての終わりではなく、単なる通過点であると信じられています。時間と空間の次元であるこの世で人が生きる時、肉体と魂は不可分一体の存在であり、人は体と魂から構成されていますが、死を迎えると魂は体から抜け、その肉体は亡骸となってしまいます。生物学的な死によって細胞が機能を失い、残された肉体は朽ちていく物質と化します。この時から、人はこの世(時間と空間の次元)の存在でなくなっていることは誰の目にも明らかでしょう。なお、ここでいう肉体と魂とは前述しましたように「肉体は魂の器であり、魂は霊の器である」という私の理解で申しています。

イエス・キリストは人の死が全ての終わりではないことを人々に知らせるために、復活という出来事を人々に示されました。十字架刑を受け、人の死を経験し一旦は墓に葬られましたが、三日目に墓からその亡骸は消失し、人々の前に復活のみ姿を顕されたと伝承されています。聖書の記述によれば、人の目にはそれが主イエスであると分かる形で現れ、人々と会話を交わし食事までしていますから、復活の主イエスは一見肉体を備えていたように思われます。しかしその体は密室に現れ、また、消えてしまったと書かれていますから、この世の存在、物質としての形態ではなかったと推察されます。主イエスは、私を信じ、私に従って生きるものは終わりの日に復活し、永遠の命が与えられると宣言されました。主イエスの復活の出来事はわたしたちの復活の初穂として顕現されたものと推察されますが、私たちがこの世を去ったのち、どのような存在となるのかは我々には定かではありません。復活された主イエスにしても、人の目に見える形で姿を顕されたのは40日程の期間であり、弟子たちを前に昇天された後は彼らにそのみ姿を直接現すことはありませんでした。見える形で、しかも共に食事までされたというご復活の主イエスのお姿は、肉体の死は人間のすべての終わりではないことを人々に知らせるために、目に見える出来事(サクラメント)として示されたものと私は理解します。

父なる神様は、主イエスが昇天された後は、聖霊を送って、人の目に見える形ではありませんが、主イエスが世の終わりまで人々と共にいてくださる状態が実感できるようにしてくださいました。要するに、不完全ながらも神の形を与えられている私達人間は物理的存在を越えて霊なる存在として、神そして神に属する人と互いに交わることができる感性を整えてくださっていると理解すべきでしょう。「霊なる存在」でもある人間、ここに、この世を去ったのちの人の有様の雛形があると思われます。

既に申しましたように、肉体を持った生物である人は肉体の死をもってこの世を去ることになりますが、キリスト者はこれを単なる通過点と考えます。肉体を脱いでこの世を卒業し決して戻っては来ませんが、霊なる人は神の国で生きると考えます。人の死は通過点とはいえ、極めて重要な節目であることは間違いないでしょう。魂が肉体を離れる前に自我(人間の思い)を捨てて、神様の導きのうちに歩もうという気持ちがなければ、人は本当に死んで(消滅して)しまうと思うからです。肉体を着てこの世を歩んだ人生で私はどのような私になっているのでしょうか。節目が近づいてきた今、準備しておかなければならないこと、この世にあるうちにし残していることは何なのか、古稀という年を迎えこの世の役割からは徐々に解放されてきているこの時に、いささか気になりだしたところです。