キリスト教が最も大事にしているお祭りはクリスマスと考えている日本人は多いと思います。
しかし、キリスト教が最も大事にしているお祭りは実は日本人にはなじみの薄い「復活祭(イースター)」なのです。
キリスト教はイエス様が金曜日の午後十字架の刑を受けて死に、当日を第一日目と数えた三日目の日曜日に甦って人々の前に現われ、地の隅々にまで福音を述べ伝えよと命じられたことによって、成立した宗教です。
ですから、イエスの十字架の死と復活がキリスト教の中心的な出来事であるのです。
クリスマスはキリスト(救世主)が世に遣わされてお生まれになったことを記念して喜び感謝する日です。
ローマ帝国の弾圧下にあった初代教会ではクリスチャン達は命がけで信仰を守っておりましたのでクリスマスを祝う心のゆとりはありませんでした。
しかし、人目に触れぬところ(地下墓所であるカタコンベ等)で、クリスチャン達によって復活祭と復活を覚える日である日曜日の礼拝は厳粛に守られていました。
クリスマスについてはコンスタンチヌス大帝によってローマ帝国の禁教令が解かれた後、祝われるようになったものですが、12月25日にイエス様が生まれたという記録は聖書にも他の文献にもありません。
ルカによる福音書に記されたイエス誕生の記述では、その夜羊飼い達が寝ずの番をしていたとあります。
パレスティナ地方の12月25日は極寒の時期であることから、羊飼い達が夜に野原で寝ずの羊の番をするはずはないのです。
そもそもこの日は、ローマの「太陽神の祭り」の日であったのです。
冬至を越えると日毎に日中が長くなることから太陽が力を増す日として選定されたとのことです。
ではなぜ、この日をクリスマスとしたのか?それはローマに住むクリスチャン達が異教の祭りに誘惑されないように、教会がその日をイエス様の誕生日、クリスマスと決め、信徒を教会に集めたのだという説があります。
太陽神の祭りには人が浮かれて集い、無礼講という不道徳な行為が横行していたため、心の弱いクリスチャンがその誘惑に負けないようにとの教会の教育的配慮からであったということです。
まあ、そんなことであったかもしれないと、小生も推測しております。
ところで、ロシア正教など東方教会では1月6日をクリスマスとして祝っています。
因みに西方教会(ローマカトリック、聖公会、プロテスタント諸教会)では1月6日は三人の東方の博士がイエスを訪問した日(顕現日)として祝っています。