日本のキリスト教(ザビエル時代に遡るローマカトリック教会を除く)は2009年の今年、宣教150周年を迎えました。1873(明治6)年に禁教令が解かれて一応合法的にキリスト教宣教が許されるようになるのですが、それより少し前、1859年に米国人宣教師ウイリアムズ師が長崎に上陸した年から数えて150年が経ったわけです。この間、キリスト教会は福音(神様のよきメッセージ)を日本人の心に届くようにちゃんと伝えてきたであろうか。このことを反省しつつ検証してみると、今日キリスト教について日本人に周知されていることといえば12月25日のクリスマスくらいなものであって、それもイエス・キリストの誕生を祝うキリスト教の祝日であることは知られているものの、子供達にはサンタクロースがプレセントを配り、人々はクリスマスケーキを食べ、お互いにプレゼントを交換するという社会習慣のみが取り入れられ、宗教的意味とは無関係にクリスマス商戦としてだけ日本社会に定着している感があります。この現実はキリスト教会が述べ伝えるべきメッセージを日本人の心に届く形で伝えてこなかったことを実証しているように小生には思えてなりません。

明治初期より欧米諸国から沢山の宣教師が日本に定住し、キリスト教の種がまかれました。彼らは欧米の先進科学、文化、医療、教育を共に携えて宣教に励みました。人は心と体とからなるもので、体の健康と生活環境が整わないところでは心の健康も得られないとの信念があったものと解されます。日本政府は、鎖国による文明の遅れを回復し、欧米諸国と肩を並べる国力を持ちたいと富国強兵政策をとりますが、そのために進んだ欧米の先進科学・産業技術を学び取り入れることが優先されました。進んだ文明を吸収するため、また外交面からもキリスト教禁教令の撤廃は必須でした。しかし、本音は富国強兵政策を進めるためには外国からの宗教は入れたくない、天皇を中心に日本人を一つに纏める独自の宗教を確立したいとの思いがあったのです。そこで、既存の宗教である仏教と神道を取り込んだ神仏混淆政策をとり、天皇の先祖である皇祖(天照大神)を最高神とする国家神道を造り上げ、国家神道は諸宗教に優先するものとして広めました。その流れの中で和魂洋才政策がとられたのでした。太平洋戦争の時までキリスト教に対して表立った弾圧はありませんでしたが、耶蘇教は欧米のバタ臭い宗教とのレッテルが貼られていました。内村鑑三不敬事件は戦前の日本におけるキリスト教の置かれた状況をよく象徴していると思われます。明治23年教育勅語が発布され、文部省はその謄本を全国の国公私立の学校に配布し、勅語への拝礼(敬って頭を深く下げる行為)を指示しました。当時第一高等中学校の嘱託教員であった内村鑑三は、拝礼が皇祖皇宗を更には天皇を神とする行為として、偶像崇拝を否定するキリスト教の信念に従い、軽く会釈する程度の敬意を表するにとどめたところ、生徒および教員の一部から、この内村の行為は皇室に対する不敬であるとの非難が発生し、マスコミからも「不忠の臣」「外教の奴隷不敬漢」との批判を浴び、結局学校を依願退職させられたのでした。このような社会的逆風が吹く中でのキリスト教の宣教は容易に進展しなかったのであろうと推察されます。しかし、原因はそれだけではなく教会の宣教姿勢にも不十分な点があったように思われます。前述したような日本社会の風潮があったにせよ、キリスト教会として、バタ臭いなどと思われない日本人向けのメッセージの伝え方をする工夫に欠けていた、メッセージが宣教師たちからの受け売りで日本人の心に届く言葉に直して発信しなかったのではないかと推測されます。また、「聴く耳ある者は聴け」といった姿勢、教会の門をたたいてくる人を受け入れるだけで、積極的に町へ出て宣教するという姿勢に欠けていたのではないか。結果的にキリスト教は一部のインテリ層に浸透しましたが、市井の日本人からはバタ臭い外国の宗教という目でみられたまま浸透することはありませんでした。

しかし、終戦後、事情は一変し、日本国憲法の下で「信教の自由」が実質的に認められ、自由な宣教が可能になりました。この時期は小生の幼児期に当たりますが、教会には多くの人々が出入りし、熱気を帯びていました。日本が戦争に負け、今までの価値観が壊されて混乱する中、新しい価値観と自由を求めて人々は教会へ集ったと思われます。ところが、キリスト教会はこの状況下でも日本人の心に届くメッセージを発信できなかったのでしょう、次第に教会へ来る人の数は減り、終戦から10数年も経つ頃には以前の落ち着き?を取り戻していったのでした。国民生活が安定するに連れ教会への関心も薄らいでいったのでしょうか。この150年間、毎日曜日教会では熱心に説教が語られ、祈りが捧げられてきたにもかかわらずそのメッセージは一般社会で生活している多くの日本人の心に届くことはありませんでした。この現実は日本のキリスト教会の大きな反省点であると思えます。

生活は豊かになる一方で、価値観は多様化し、人間関係が複雑化し、一種の混乱状態になっているともいえる現在の日本社会において、人に生きることの大切さ、その意義を学ばせる宗教の役割は益々重要になっていると思うのですが、自然科学が万能であるかのごとき錯覚に陥っていっている多くの日本人は宗教的音痴になっているように思えます。門前の小僧の分際で生意気なことを言うなとのお叱りの声が聞こえてくるようですが、怪しげな宗教に人が集まり、大きな社会問題を起こしている状況を見ればそう思わざるを得ません。これらの事象がますます宗教とは危ないものだとの不信感を日本社会に抱かせてしまいました。門外漢の小生ですが、鎌倉時代の日本の仏教は高い宗教的レベルを備えていたと思われることから、決して日本人は本来的な宗教的音痴ではないと思われます。今の状況は、混乱の中にある日本社会に対して人々の心に届く形でメセージを発信していないというキリスト教会を含めた宗教界の責任であろうと思えます。

市井の日本人にメッセージを届けようと街中に繰り出し、路傍説教をして宣教するという手法は今日の日本においては現実的ではありません。人々は目的を持って街を忙しく行き来していますから、うるさいと感じるだけでその人の耳にメッセージが届くことは難しいでしょう。今の日本社会には、インターネットを使った通信ツールが確立されており、多くの人がこれを生活の道具として使用するようになりました。その危険性にも配慮が必要ですが、この伝達方法のよい点は人への押し付けがないことでしょう。日本人には宗教への関心があっても、関心を示すとすぐに信徒にさせられてしまうのではないかという不安や、警戒心が先立って宗教には近づかないという傾向が強い様に思われます。その点関心のある人が気兼ねなく見ることができ、見たくない人は遠慮なくスイッチを切ればよいというインターネットツールは真に便利な道具です。既成の宗教の布教手法に飽き足りない若い宗教家の方々がこのツールを使って様々な試みをされていることは喜ばしいことです。キリスト教会にもこのツールを用いた宣教が大事であると思う人が多くおられ、ホームページやブログで説教等を沢山発信しておられるのですが、生の神学は教会用語も多く市井の日本人には解かりにくい内容であるように思えます。150年間の日本におけるキリスト教宣教を振り返るとき、バタ臭さを感じさせることなく日本人に分かりやすい話を発信することの必要性を強く感じます。普通の日本人にキリスト教のメッセージを届けるためには正しいキリスト教のメッセージを発信する神学者や聖職者と普通の日本人との間をつなぐ媒介(インターフェース)として役割が重要となるのではないか、それを担うのは世俗社会で生活している信徒の責任ではないかとの思いから、小生はこの門前の小僧の辻説法を発信し始めた次第です。できるだけ多くのキリスト教信徒の方々にこの媒介としての働きを共に担っていただきたいと願っております。