「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさってここにはおられない」

管理牧師 司祭 グレース 神崎和子

「主のご復活を共に祝いたいと思います。
主イエス・キリストは、十字架の上で私たちの罪を全部背負われて、殺されました。そしてかねて言われていたように復活されたのです。
十字架の死、そして墓に葬られ、復活されたイエス様が、私たちにも語りかけて下さいます。空の墓の中で混乱した女性たちと同じように、時と場所を超えて、私たちに語られています。イエス様の復活の出来事は突然に、私たちにも襲ってくるのです。しかしそれは人間の言葉を持っては説明するには限界がある出来事なのです。つまり他者に説明する言葉を持たないほどの出来事なのです。しかし、驚くべきリアリティーをもって私たちにも訪れるのです。復活されたイエス様は理性的な認識を超えたものです。しかし「復活の主」との出会いは必ず私たちにも起るのです。
 2千年前、女たちは、空っぽの墓から逃げ出してその後どこへ行ったのでしょう。弟子たちのところでしょうか。それとも自分たちの生まれ育ったふるさとガリラヤでしょうか。   彼女たちは呆然と歩き続けたのかもしれません。墓の中にいた若者(天使)は「イエスはあなたがたよりも先にガリラヤに行かれる」と言われました。その不思議な言葉に導かれて、あの出来事は何であろうかと行く道々、取り付かれた者のようになって歩いていたのかもしれません。あの墓での出来事は現実なのか幻なのか、イエス様との過去の記憶と交錯させながら、なんとか言葉を編み出そうと歩き続けたのではないでしょうか。
  ガリラヤの地は最初にイエス様に出会った場所です。イエス様の語る神の国に目を見張り、それまでの自分たちを縛りつけていた、呪縛から解き放たれた出会いの場です。そこに帰り、そこでもう一度イエス様と生き直すこと、それは「復活の主」に出会った出来事と言えるでしょう。
  空の墓へと遡って過去の出来事に思い巡らすだけでなく、今現実に私たちの中にイエス様は生きておられるのです。特に抑圧された人、差別されている人、苦しみの中にある人、これらの人々の中に復活のイエスはおられるのです。小さくされている人々に出会うとき、イエス様は「復活」して私たちと共にいてくださるのです。
  イエス様の「ご復活」は「主が共にいてくださる」という確実な信仰を私たちに生じさせる事実なのです。
迷える羊・ストレイシープ(STRAY SHEEP)

ベネディクト 河野 正司

 大斎節第一主日にお話しさせて頂くことに感謝申し上げます。
 聖ミカエル教会において40年を越えるお交わりを頂いていますので、いまさらでもありませんが簡単に自己紹介させて頂きますと、私自身は歯科医であると共に歯科医師育成のために大学の教師として働いてきました。いまも働かせてもらっています。東京医科歯科大学を卒業後母校に25年勤務し、その後新潟大学に招かれ単身赴任して20年を経ようとしています。新潟大学歯学部の門前には日本聖公会中部教区新潟聖パウロ教会があり,時には礼拝に出席させて頂きますが、週末には本教会の礼拝に出席するため、また家族と共の時間を過ごすために東京に帰ってきます。私が帰らないと、ミカエルの出席者は一人減るとの認識の元に。
 本日は、いま自分の感じている「迷える羊」についてお話してみたい。実は私自身が迷える羊であった。いや、今も迷っているが正確かもしれない。迷える羊である学生とそれを救い出そうとする大学教師が、力不足で教師自身も迷ってしまうという構図である。
 私の仕事である高等教育(高校卒業後の教育)の中におけるこの様な迷える羊、そして私自身のことに触れてみたい。
 「迷える羊」というと、マタイ伝の18章あるいはルカ伝の15章の記事と共に、夏目漱石の小説「三四郎」を思い出す。
  マタイの18章3−7の「迷い出た羊」のたとえ話は,「百匹の羊を飼っていた羊飼いが、私ならば迷子になった一匹の羊がいたら見捨てはしない。たとえ、99匹の羊を置き去りにしても、迷子の一匹の羊を探しにいくだろう」。そして「もし、見つけたら、迷わないでいた99匹よりも、その1匹のことを喜ぶであろう」。というよくご存じの記事である。この「迷える羊」の意味は、「心正しい人はさることながら、迷える一人を救ってあげなければならない」ということなのであろう。 
 さてもう1つの小説「三四郎」は明治41年に朝日新聞に連載されたもので,「坊ちゃん」とならんでポピュラーな漱石の代表作である。
  主人公の小川三四郎は熊本の第五高等学校を卒業し、東京帝国大学に入学するために上京し,いままでの熊本とは全く違った東京の新しい世界へ飛び込んできた。さまざまな人と出会い、三四郎は異なる三つの世界に囲まれていることを感じ取っていく。
 一つ目は母のいる故郷九州の田舎。二つ目は故郷の先輩野々宮や広田先生のいる学問の世界。三つ目は、東京における華美溢れる世界であった。この三つ目の世界で三四郎は美禰子という女性に恋するが、曖昧な態度を続ける美禰子は「ストレイシープ(迷える羊)」という言葉を三四郎に幾度となく投げかけ、ついには兄の友人と結婚してしまう。
 主人公の三四郎が大学進学した明治40年代には,大学はまだ全国に東京、京都、東北、九州の4帝国大学しか存在していない。その大学に入る者は社会の中の超エリート者であるといえる。
 では、その超エリート者「三四郎」が何に迷ったのであろうか?
 作者の夏目漱石はいち早くロンドンに留学し、西欧文明のすごさを経験して、三四郎の口をかりてつぶやいたのでしょう。「日露戦争に勝利したからと言って、そんなに慌てて西欧文明を受け入れたら、日本の将来はどうなるのだろう?もう子羊のように迷っているじゃないか」と。そして彼自身は大学の英語教師をやめて、作家へと変身していく。
 三四郎が大学に入学した頃の入学者は超エリートだと前述した。大学進学率についてはアメリカの教育学者マーチン-トロウが次のように分類している。
 大学進学率が15%までの入学者をエリートの時代、15〜50%をマス、50%以上の進学率をユニバーサルの時代としている。これによれば日本では1970年代の高度成長期以前がエリートに、それ以後2005年頃までがマスに、そして今はユニバーサルの時代にということになる。すなわち、現代では高等学校はほぼ100%の全入であり、その後の大学、短大、専門学校への進学率は50%を越えている.大学の入学定員は希望者以上の数があり、大学を選ばなければどこかに入学できる「ユニバーサル・アクセス」の時代になっている。
 大学教育の内情を少し記すと、進学率が高くなれば入学者の成績分布は広がってくる。その傾向はことに学力底辺大学で著しく、その分野の教育水準は低下することに結びつきやすくなる。学力分布が広くなり、理解力に問題のある学生も入学してくるので、その学生に講義を理解させるためには、教育水準はそこに合わせていくことになる。
 現在私が勤務する短大では入試選抜をする余裕がない。18歳人口は全国で毎年5万人減少している上に、近年の口腔衛生と予防が効果をあげて、歯科に罹患する患者数が減少していることから、歯科業界は構造不況といっても良い状態にある。しかし、今でも絶対に国民に必要な職業ではあることは変わりないが、こんな状況下であるから志願者の絶対数が少ない。殆ど無選抜状態。これが進学率50%を越えたユニバーサル・アクセスの現状である。
 この状況の中では、次のような問題が生じてくる。
 第1点は、現在の大学の教育環境に対する教師の理解不足、順応不足である。教える側の教師は「エリート」時代に大学教育を受けており、その感覚では現在の大学教育は出来ない。現状の「ユニバーサル・アクセス」を理解しきれない。頭の固い教員ではこれに対処できない。
 その代表例が、「現在の学生は、教員にとってクライアントである」という言葉を教員が理解しようとしないし、理解できない。クライアントとは「顧客、相談者(カウンセリングの)」を意味しており、エリート時代の学生とは異なる今の学生をクライアントとして教育しなければいけないことを理解し、実践する必要がある。
 第2点は、学生自身の修学感覚に関する問題である。
 高校時代にそこそこの学力の生徒が、成績分布の広いユニバーサル・アクセスの大学にあるクラスで自分の学力に自信が持てなくなる問題である。特に、私が今教えている短大は卒業時に国家試験を受験して終了する大学である。勿論当然、学生全員が国家試験に合格することが望まれている。
 その国試は自分の学校の教師が試験するのではない。見ず知らずの第三者が評価する試験であり、自分が教わった教師以外の人から能力試験を受けることは学生にとって初めてである。これにビビって、国試前に不安に陥いり、勉強に手がつかなくなる学生がいる。その学生の中には、悩みを教師が理解してくれないことに不安感や焦燥感を持つものも出てくる。
 「先生には私の悩みを判って貰えない」。国試は全員が合格するように教育を受け、「その中で合格しなかったらどうしよう」と悩んでいるように見える。
 「貴方ならば合格できる」と、教師がいってもそれは何の保証にもならない。
 これらの学生は、我々教師にとっては迷える羊である。
 学生が迷える羊状態になっているときはまだ良い。迷える羊が見えなくなっているとすれは、これが怖い。迷える羊が見えない教師自身が迷える羊になってしまう。
 学生の学習態度が急激に変化し、何か悩んでいることがわかれば、我々教師も対処できる。しかし、学生の変化が見えなかったらどうなってしまうであろうか?
 このような不安は国試の直前に急に発生してくるが、修学中の大学教育に対する種々なるストレスが加重された結果なのだ。そのストレスの一つが大学における試験の合格ラインが60点であることに対してである。
 高校においては40点、あるいは35点が合格点だったと学生が言う。大学の試験、さらには国試の合格ラインが60点であることは、教わったことの少なくとも半分は理解してほしいと願っての合格ラインである。しかし、学生にとっては40点から60点への変化にはなかなか順応・理解してくれない。これが原因で勉強に対して絶望感を抱き、修学への無関心・アパシーへと進行してしまうのは、大変に怖い。
 さて、教会においてはどうであろうか?
 教会に来れる人は、その大部分が迷っていない羊、勝ち組の羊ばかりであったらどうであろうか?
 教会の中に、牧師や信徒に見えない「迷える羊」がいたらどうであるか? その迷える羊を救うことが出来るだろうか?
 私も2−3年前に迷える状態であった。周りの人にはそれがよくは見えないのだろう。迷える状態からの脱出には、私にとって教会は無力であったと云ってもよい。
 教会に出席できる人は、あるいは出席する人は、勝ち組のものだけではないか? とその時感じてしまった。本当に悩んでいる人は、教会に来れないのではないか? それはどうして?
 教会では悩みを解決してもらえないから? 悩みを聴いてもらえないから?
 教会は施しをするところから抜け出せないでいるのではないか。
 私の迷える状態から抜け出すための結論は、教会に関わった原点に戻ろう。教会に何かを期待するのではなく、私が教会に関わり始めた原点に戻ろうと言うことであった。それは、何であっても日曜礼拝に出席しよう。席を温めるだけであっても良いから礼拝に出席しよう、そのうちに礼拝に参加できるようになる糸口がつかめるであろう。 
 今は、キリストのあがないの死を感じることが出来るようになってきた。特にこの大斎節において、大斎を守ろうと思えるようになってきた。
 教会の宣教の原点は何であろうか?
 信徒にとってそれは色々であろう。私には何であっても日曜礼拝を守ること。そこで自分の行動規範を確認すること、そのためのベースラインを得るために。出席しなければ、何事も始まらないのだ。出席することを誓ったのだから。
信徒が出席できないとすれば、その理由を解決するのが教会だ。迷える羊が解決の糸口を得られるように。
  教会が本当に迷っている最後の一人までを救うことが出来るようになってほしい。その為には今なにをしなければならないのか? ミカエルにはなにが欠けているのであろうか?
『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言えるようになりたいものだ。
 
  
「東京教区の宣教を考える会」に参加して

パトリック 山田 益男

「表記の会が2012年2月10日(金)、11日(土)の両日、静岡県函南町の「富士箱根ランド スコーレプラザ」で開催され、当教会の代表として参加した。
 この会は、2012年日本聖公会宣教協議会東京教区準備委員会(委員長 神崎和子司祭)が主催し、教役者と各教会からの参加者が、全聖公会中央協議会(ACC)で議決された5つの指標を中心として、宣教についてさまざまな観点から学ぶことを目的に開催された。
 当日は、谷昌二沖縄教区主教を発題者にお招きし、大畑喜道主教をはじめとした教役者23名、各教会から信徒53名、教役者を除くスタッフ6名の計82名が出席した。はじめに、大畑主教から、「神と神の国のために生きる共同体となるために」と題して、谷沖縄教区主教から「他教区からみた東京教区への期待」と題して、講演があった。今回お招きした谷主教の講演では、イエスさまを中心としたUの字の曲線で表すことで歴史認識のパラダイムシフトがおこるとの持論が披露された。自身の半生を振り返り、沖縄に遣わされたおかげで、本土が抱える課題がよく見えるようになったと語った。福島第一原子力発電所事故と沖縄の基地問題にも触れられ、3月11 日以降、課題解決のために私たちは、「福島」と「東京」、「沖縄」と「東京」、という対立構造としてとらえず、「原発も基地も国民全体の問題」という認識を持たなければならないと説いた。
大畑主教の発題は、「私たちの宣教のビジョン」として、主教の宣教のビジョンは何処にあるのか、何を目指しているのか、明確にするようにという声を聞きます。竹田主教は東京教区の宣教方針として「いと小さき者とともに」という方針を提示されましたが、基本的に小職もそのことから外れていくことは無い。宣教のビジョンは多くの人々の声、知恵がなければ、主教一人の考えだけでできていくものではないので、互いに祈りあい、支えあいながら神の宣教に参与できたらと思っている。基本的に宣教を考える上での基本的な柱は、全聖公会中央協議会(ACC)の会議で議決された5つの指標にあると考えている。すなわち、①神の国の福音を宣言すること。②新たな信徒を、教え、洗礼を授け、養うこと。③愛の奉仕によって人間の必要に応えること。④社会の不正義な構造の変革に参与すること。⑤被造物の完全さを守り、地上の命を保持し、新たにするために努力すること。各教会の独自性を認めつつ、東京教区の教会が一つの共同体として、全体として5指標を成し遂げていければよいと思う。/今回の地震を通して多くのことを学ばされている。北海道教区は釜石地域の人々と連帯するために少ない人材で頑張ってるが、いつまでも奇跡的な働きをすることは無理である。この働きに対して東京教区に支援が求められている。私たちのできることの最大限は何かということをもう一度考えて、実行していきたいと思う。/教会は宣教することによって自らの存在意義を確認する集団でもある。東京教区の状況は教会の数に比して教役者の数が不足しており、一人の聖職が複数の教会を持つこと、共同的な牧会体制を造っていかなければならない物理的な状況にあるが、数が足りなくなったと後ろ向きではなくて、全ての神の民が共同して宣教に当たるための準備ができたと考えたるようにしたい。様々なタレントを生かし合うチャンスが与えられたと考えたいと思う。最後に主教座聖堂の重要さについてであるが、主教座はいつも使徒継承を思い起こす場所だと言うこと。主教座から司祭は各地に派遣され、各個教会はその地域での出会いをしてその地での責任を果たすものである。地域の教会、教区の教会は派遣された司祭たちによって、神のみ言葉と聖餐によって一つにされてゆく。主教は、司祭団と共に、私たち一人一人が使徒の継承者として、イエスと共に、イエスが出会おうとした人々と共に神の愛を現実のものとしていく使命を帯びていることを自覚するために存在している。宣教や学びについての責任は主教座聖堂の活動にあると考えている。
このような両主教の発題を聞き、セッション2では、参加者を10のグループに分け、宣教について活発な討論が交わされた、所属教会で行っている宣教の事例、宣教を行う上で課題に考えていること、宣教するために必要な信徒の変化、宣教をする上で大切もの、賜物を活かした宣教の事例、宣教と祈りの関係など多様な視点から、宣教について各セッションを通して4時間30分の討論を行い、2日目のセッション3では、セッション2で挙げられた多様な意見をスタッフが集約した資料に基づいて、「だれと」共に「どこへ」行くのか、を具体的に可視化する作業を行った。各グループでは、ときには白熱した議論が交わされる場面やお互いの立場に共感し合える場面があり、教区会とは異なって多くの参加者が直接意見を交わせる場となったことは東京教区の企画として評価できると感じた。
 この会の視点から教会を見直せば、各個教会は信徒だけの閉鎖社会ではなく、その地にあることの責任として、地域社会の問題にもっと関心を向けること、一般社会との接点として与えられた大震災被災者と共に歩む働きに参与する教会になることが求められていると思われる。楡原姉が関わっている「渋谷給食活動」や「東京に避難している被災者支援活動」などは私達の教会の身近で展開されている活動であるといえるでしょう。私達の渋谷聖ミカエル教会としてはこれらの働きにもっと関心を向ける必要があるといえるのではないでしょうか。
 以上が「東京教区の宣教を考える会」に参加した者としてのご報告です。
 次に、この会が終わった後のことですが、教役者の数不足に伴う新たな牧会態勢に関連して、当教会に激震が走りました。李民洙先生が休職退任されてから2年にわたり、実質的な牧師としての働きを担って頂いた関司祭が突如聖ルカ国際病院嘱託司祭に異動させられたことです。多くの信徒にとって関先生の存在感は大きく、先生がおられなくなるということに不安を感じる人が多くいるという現実があり、2年程度で牧会者を変えられてしまっては新しい信徒が育たないという悲鳴があがりました。この事態に危機感を覚えた教会委員会が教区主教へ当教会の要望書を提出したところ、教区主教が教会委員会と面談する機会を作ってくれました。教区主教からは33ある教会に対して派遣できる現職の司祭の数は24であり、5年後には更に9名の定年退職者が出るという状況の説明と、聖ミカエル教会には主日勤務が可能な協力司祭として聖公会神学院の成チャプレンを送りますという説明がなされました。教区の教役者事情の中ではやむを得ない人事であったかもしれないと受止めながらも、当教会の信徒に不安と教区不信を起こさせてしまった経緯について教会委員達は遺憾の意を表した次第です。
 4月からの聖ミカエル教会の働きについては、与えられた状況の中で進めなくてはなりません。牧師館に定住者がいない環境で、管理牧師と主日勤務の協力司祭による牧会態勢という形は5年後の教区の教会の姿を先取りしたものであるともいえます。私達の聖ミカエル教会は今年からヒルダ・ミッシェル宣教活動を開始しようと意気込んでいたところでした。私達はこの事態に意気消沈することなく、管理牧師の神崎先生と協力司祭の成先生と教会委員会で協議をし、それぞれに担える役割を分担して前に進みたいと思うものです。
 
 
個人消息、報告、予定など
◆ミッシェル・ヒルダ基金
◆新教会委員に河野正司さん、布川悦子さんと山田奨さんが選出されました。
◆2月5日(日)主日聖餐式後、受聖餐者総会が開かれました。
◆2月22日(水)大斎始日(灰の水曜日)の礼拝が10時30分から行われました。
◆今年の大斎プログラムは「信徒の証し」が教会委員の方を中心に計画されました。
   ・第1回は2月26日(大斎第1主日)河野正司兄
   ・第2回は3月 4日(大斎第2主日)山田奨兄
   ・第3回は3月11日(大斎第3主日)増山友子姉
   ・第4回は3月18日(大斎第4主日)大野直人兄
   ・第5回は3月25日(大斎第5主日)青木洋子姉
◆大斎中の毎週金曜日は19時から「十字架の道行」が行われました。
◆3月10日(土)教区事務所に於いて、今回の教役者人事において関嘱託司祭が聖路加礼拝堂のチャプレンに異動されることに伴う当教会の牧会態勢について、大畑主教と神崎管理牧師およびミカエル教会の教会委員との話し合いが行われました。
 ◆3月18日(日)青木紀和・美菜ご夫妻と愛息栄作くんが洗礼を受けられました。
   ・パウロ 紀和 教父母[山田益男・山田奨・平林京子]
   ・パウラ 美菜 教父母[山田親・布川悦子・永田雄一]
   ・ダビデ 栄作 教父母[永田雄一・山田奨・平林京子]
  4月1日には教区合同堅信式で主教より堅信を受けられ、イースターに初陪餐にあずかります。
◆第118(定期)教区会が3月20日(火・休日)に開催されました。当教会からは山田益男兄が教区会代議員として、また青木洋子姉が選挙管理委員として参加されました。
◆3月25日(日)主日聖餐式後、山田奨兄宅にて親睦会が行われました。16名の参加でした。
◆3月31日(土)19時から、4月から協力司祭としておいでいただく成(そん) 成(そん)鐘(じょん)司祭をお迎えして臨時教会委員会が開かれました。
◆3月31日(土)〜 4月1日(日) 香蘭女学校の生徒22人による教会で「お泊まり会」の体験学習会(桑原しのぶ教諭指導)が行われました。

以  上