戦 い
司祭 ヨナ 成鍾(聖公会神学院)

戦いが始まりました。協力司祭として聖ミカエル教会でご奉仕をさせていただくことになった私の戦いは、また始まりました。戦いとは祭壇の前に立って聖餐式文をゆっくり読むことです。特に「主の祈り」を唱えるとき、私の戦いは激しくなります。他の部分と異なって主の祈りを唱えるとき、信徒の皆さんの口の動きがさらに早くなるからです。私より年上の方々が多いのですが、お祈りを唱える速さが、まだ若い私の呼吸より先に立っていきます。もちろんその流れに合わせて唱えようとすれば付いて行けないこともないですが、その時、主の祈りはどうしても私にとってはお祈りになりません。
主の祈りだけではなくて聖餐式全体が一つのお祈りだとすれば、何か物足りなくて惜しいなと思う部分は一つや二つだけではありません。それゆえ、私はどこでも新しい教会に赴任していく度に、式文に頭を押し込んで文字を勢いよく読んでしまう信徒の方々との戦いを始めます。この戦いは信徒の皆さんだけではなくて、聖職者たちとも時おりしました。でも彼らとの戦いは何回かの挑戦を通して、結局、自ら諦めるようになりました。彼らの信仰の厚さと速さに、私の弱い唇は相手になりませんでした。
聖公会は「祈祷書教会」という別称を持っています。他の教会が持っていない長所が多くありますが、まかり間違えば書いてある文字にはまってしまう危険性があることもあります。実際、私たちの祈りは、祈祷書に書いてある文字だけではなくて、文字と文字、文章と文章の間に、余白として存在する神様の助けに頼る場合が多いのです。従って文字一つ一つを、念を押すように噛みしめながら読むことと、その文字と文章の間に守られる沈黙が例えようも無く重要で、必要であるのが聖公会の礼拝でもあります。人間が整えて作った祈祷書がそうであるなら、ましてキリストがくどくど述べてはならないと教えてくださった主の祈りは、これ以上お話を加えることは無いのではないでしょうか。
ひょっとすると、他の人たちから次のような話が聞こえてくるのではないかと心配です。“あなた方が祈るときは、キリスト者のようにくどくどと言ってはならない。キリスト者たちは、言葉を読む速度が速ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなた方の父は、願う前から、あなた方が必要なものをご存知なのだ。だから、ゆっくり祈りなさい。あなた方が心からゆっくり、念を押して祈らなければ、父もあなた方の過ちをお赦しにならない。”
主の祈りを用いてできる「霊性修練」一つ。
一般的に主の祈りを唱えるのには3040秒程が要りますが、今回は速度を10倍くらい延ばして唱えてみましょう。言葉の意味について考えるよりは、ただ言葉が身に染み込むように、言葉と自分が一つになるようにゆっくりと唱えます。すると主の祈りの意味を頭ではなく体で感じ取るようになります。最初は時間を作って一人でやってみて、だんだん気が合う人々と共に捧げましょう。すると主の祈りの神秘により深く浸されるようになると思います。
初めての礼拝のこと
パウロ 青木 紀和
今年の4月に洗礼を受け、妻の美菜と息子の栄作とともに信徒となりました。それまでの人生では所謂「無宗教」でした。宗教というと、やはりカルト教団のネガティブなイメージを持っていたり、「心の弱い人が入るもの」であり、自分はそのようなものは必要ないと考えていました。そして無宗教であることがあるべき姿だと思っていました。
その思いが変わるきっかけは、礼拝に一度参加したことでした。当時住んでいた近所にあった聖マーガレット礼拝堂に2006年のある日曜日に訪ねたのです。事前に連絡もせず、ただ見学するつもりでした。それほど多い人数ではなかったかと思います。そこで祈祷書を渡されて、祈りを読み上げたり、聖歌を歌ったりしました。これがとても新鮮に感じたのです。
実家では熱心ではないですが仏教徒で、法事には出ていました。そこでは意味がわからないお経を読んだりしていましたが、それとは全く違いました。全ての祈りの意味がわかります。聖歌もお経とは違ってメロディがあり、歌いたくなります。説教も聖書の解釈だったり、歴史の話だったりと、知的に満たされました。これが毎週行われているのかと驚きました。年に数回の仏教の法事では、私が行ったところだけなのかもしれませんが、仏の話が出ずに世俗的なことにとどまっていたり、通り一遍でよく聞く仏の話でした。宗教自体にはそのときは少し関心があったので、表層の部分だけ仏教、キリスト教、神道のことは知っていました。法事では毎週の礼拝ほどには知的に満たされることはありませんでした。
さらに、ひざまずいて「神の御旨を行うものとならせてください」と祈る。それまでは自分のやることを単に経済性や価値観を基準に自分で評価していただけでしたが、もっと謙虚になるべきなのだと気づかされました。本当に自分の行っていることが、神の栄光とひいては人々の幸福につながるものなのだろうかと。謙虚になって祈ることで新たな責任感は生まれますが、同時に全て自分次第でなくなることからか、心が軽くなりました。神の御手にゆだねるとはこういうことかと思いました。
初めての礼拝の印象が深く心に残りました。この一番初めの礼拝にいくことになったのは、立教女学院出身の妻との出会いがありました。聖マーガレット礼拝堂が母校にあることを妻から聞き行ってみたくなったのです。加えて私自身の変化もありました。当時、私はアレクサンダーテクニークという姿勢や体の使い方を通じて心身を楽にしていく身体法を学び、心身が楽な状態に変化していった時期でした。この自身の体の状態に気づくということも、信仰を受け入れる大きな要因の一つだったと思います。既成概念にとらわれていたり、周囲にあわせようとする一般化が強いと体の負荷に気づきにくく、ひいては心にも負担が生じやすくなります。自分の体の状態に気づいたことで、心身が楽でいられることへの感度が高まり、信仰に導いてくれたのだと思います。それまではトヨタ自動車で働くサラリーマンでしたが、脱サラして今はアレクサンダーテクニークの指導者となり、独自の教室を持つに至っています。初めての礼拝に至るまでは、こうした神のお導きがあったのだと思います。
その後、不定期でしたが礼拝に行くようになり、ついには聖マーガレット礼拝堂において妻の恩師である中村司祭の元で結婚式を挙げました。市川では聖マリア教会に行き、恵比寿に引っ越した後に聖ミカエル教会に伺うようになり、関先生から洗礼を受けることになりました。初めての礼拝からこの洗礼に至るまでは6年ほどかかり、様々なことを考慮してきましたが、その間も同様にそこかしこに神の導きがありました。
聖ミカエル教会の司祭を始め、信徒の方々には私たち家族を暖かく迎え入れていただき、感謝しています。司祭と信徒の皆様に教えを請い、これからも家族とともに信仰を深めていきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
感謝と共に
パウラ 青木 美菜
私は高校卒業後、立教女学院で学び、学校以外ではYMCAで知的障碍を持つ子供達との野外活動をしたり、YMCAで出会った方の繋がりで、野宿者の支援活動をしたりしていました。学校以外の礼拝には出たことがありませんでしたが、結婚式を母校の立教女学院聖マーガレット礼拝堂で挙げた事をきっかけに、時々礼拝に参加していました。しかし、洗礼を受ける事の意味は良く分からず、『洗礼・堅信ってなんなんだろう???』と疑問に思っていました。そのような生活が続いていたある日、栄作が私のお腹にやってきてくれました。とても嬉しかったです。身体にはすごく気を遣って、とにかく、本当に本当に大事にしていました。それが良くない、と言われている事をしている妊婦さんを見ると『信じられない!!』などと批判すらしていたくらい、自分は栄作にとって絶対良いことをしている!!と思っていました。ところが、臨月を前に、緊急入院をする事になってしまいました。栄作の成長が1ヶ月程止まってしまっているというのです。栄作が小さすぎる事や羊水も少ない事から、出産にはリスクがあると告げられました。完全に打ちのめされました。何がいけなかったのか、想像もつかず、もしかしたら栄作を失うかもしれない、と涙が止まりませんでした。入院中、母校のチャプレンであり、私達の結婚式の司式をして下さった中村邦介先生の言葉を思い出していました。『洗礼は清められるというイメージがあるけれど、イエス様が洗礼を受けたヨルダン川は決して綺麗な水ではなかったそうです。清められて高い所に行くのではなく、弱い立場にある人達と同じ所に身()を置くことじゃないのかな。』突然の入院に打ちひしがれていた私ですが、そのときはっきりと、神様が共に居て下さることを感じました。そして、それを感じたとき、私より苦しんでいる人や恐れを抱いている人達と『神様あなたが共に居て下さい』と心から祈ることが出来ました。同時に栄作の為に良いことをしている、と自分のする事を絶対と信じ、他人を批判の目で見ていた自分を反省し、命を生み出せるのは神様でしかない事を痛感しました。洗礼を受けたいと夫に話したのは、この入院中の事でした。
その洗礼を受けるにあたってもいくつかの出逢いを重ねて、与ることが出来ました。無事に栄作も生まれ、千葉県市川市の聖マリヤ教会に通っていました。三原一男先生に出逢い、受洗のお話が進みかけた所で、先生のご異動や私達の引越などで見送りました。恵比寿に引越すにあたり、聖マリヤ教会の方々からは別の教会を紹介されましたが、夫が聖ミカエル教会を見つけてくれ、足を運んでみました。来てみて初めて知ったことですが、聖ミカエル教会は、中村邦介先生のご出身だったということにも、驚きました!聖ミカエル教会での出逢い、初めて聖ミカエル教会に訪れた時の、関先生や教会の皆様が温かく迎えて下さったこと、受洗の時に皆様に祝福して頂いたことはずっと忘れません。家族3人で洗礼を受ける事が出来た事は、これからの私達にとり本当に大きな意味があると思います。家族みんなで仲良く、また教会の皆様と共に、信仰の道を歩んで行きたいと思います。
エリザベツ岡田初子さんを偲んで(その1)
アグネス 大野 由里
ミカエル教会の母である岡田初子さんが神様の下に召されて、10ヶ月が経とうとしています。関先生が嘱託司祭として在任中に、関先生とご一緒に永年共に姉妹会の世話役をなされお親しかった山田親さんより、岡田さんを振り返り語って頂きましたお話を、大野由里が文に起こし寄稿させて頂きます。
岡田さんは2011116日に、ご自宅で倒れているのをお隣にお住まいの仲の良かった方に発見されました。発見時はすでに息を引き取られていたそうです。享年92歳でした。岡田さんは北海道小樽生まれ。長女で兄弟がたくさんおり、子供の頃は幼い兄弟の面倒を見るなど苦労が多く、妹や弟のおむつを川で洗いそれが流されてしまう事もあったそうです。寒い中、大変な作業だったと思います。高等小学校卒業後(15歳の時)東京の叔父のところに預けられ、そこで理髪の勉強を始めました。昔風の師弟関係にありとても厳しく指導され、理髪師に育てられたようです。
岡田さんのお人柄は皆様ご存知のように世話好きで人情味のあふれる方でした。皆様個々に岡田さんとの思い出がある事と思います。また、下町気質で勝ち気な面もあり、勉強も一生懸命なさる努力家でした。お説教はいつもメモを取っておられ、長谷川先生が在任時も婦人会でお説教について皆でレポートを書いていた時がありましたが、それにも一生懸命取り組んでおられました。あんなに沢山ノートをとって後の整理はどうするのかしらと思ったものです。歌を歌うのが好きで、さばさばした性格で、悩みをあまり人前に見せることはありませんでした。
お子さん(克彦さん)がナザレ幼稚園に入園し通っていましたが、小学校に入る直前に交通事故で命をおとしてしまいました。岡田さんは目の前で我が子が車にはねられる場面を見てしまったとのこと、どんなに苦まれたか想像するだけでも痛ましいことです。その後ナザレ修女会でシスターたちに話を聞いて頂いたり、修女会の礼拝に出ていましたが、そこはシスターたちのための礼拝なので、信徒が集う町の教会にいくように勧められミカエル教会に来るようになったとのことです。当時ご主人に「どうせ三日坊主で、すぐに辞めてしまうだろう。」といわれたそうですが、その言葉が原動力となって当初は教会に通っていたと聞いています。ミカエルの牧師であった当時、関先生の3人のお子さんを岡田さんにはとてもかわいがってもらっていたそうです。多分亡くされたお子さんの姿を重ねておられたのでしょう。教会生活の中で自分のお子さんの事故が、納得できない事柄として引きずっておられたのではないか。苦しみを抱え、複雑な心持ちであったでしょうと関先生はおっしゃっていました。また、岡田さんがとても粋に教会のホールの片隅でタバコを吸っている姿をよく見かけましたが、ある日、幼かった直樹くん(関先生のご長男)に「おばちゃん、女の人がタバコ吸っちゃだめだよ。」と言われたそうです。このことを懐かしそうに関先生と話していたそうです。教会に来てご子息と同年代の子供がいると羨ましいと思われる反面、励まされたのではないかと。しかし、岡田さんは人前では悲しい姿を見せなかったと思います。また、「こんな気持ちで教会にきていいのか。」と苦悩していた部分もあったのではと関先生は話されました。また、晩年は足を痛めて外出が不自由となりましたが、タクシーで教会に来る事もよくありました。山田親さんに「教会だけは行く」と話していたそうです。そのうち、教会に来る事も難しくなり、家の中だけは歩けるという状況になってしまいました。趣味も多彩で、瀬畑さんに木彫を習い、展覧会にもなかなかの作品を出展されていました。また、パウロ教会でのお茶のお稽古をずっと長い事続けられていました。
亡くなる1週間前くらいに関先生が岡田さん宅を訪問し、その時も23時間お話をして「じゃあ、またね。」と挨拶を交わしてお別れしたそうです。あまりに突然の事で「死」ということを、ご本人も準備をされてなかったのではないかと関先生は言われていました。お隣にお住まいの方とも親交が深く、食事の用意や、お互いの健康を気遣うなど、仲良くされていたようでした。姉妹会で岡田さん宅の近くの中華料理屋さんで昼食会をする約束になっていましたが、結局、岡田さんの体調不良によりできなかった事が今となっては残念だったよねと関先生はお話してくださいました。今頃神様の下でご主人とご子息克彦さんと3人仲良く私たちを、見守ってくださっていると思います。関先生、山田親さん長時間お話をして頂きありがとうございました。
8/5(日)オープンチャーチ&ミニバザーのご報告
バルナバ 山田
8/5(日)、焼け付くような猛暑の中、今年のオープンチャーチ&ミニバザーが開催されました。焼き鳥、混ぜご飯、パウンドケーキ、チーズケーキ、クッキー、ゆず茶、その他飲み物などの販売の他、さをり織り体験コーナーや子供向けスタンプラリーなどのイベントが行われました。
今回は地域の方、教会員と面識のあるご家族、大森アグネス教会の方々がご参加くださり、普段とは違った雰囲気の中で楽しい交わりの時間を持つことができました。
今回のミニバザーでは44,789円の利益をあげることができ、全額を東日本大震災復興支援として献金致しました。皆様のご協力ほんとうにありがとうございました。
普段からオープンな教会であるよう教会員一同努めているわけですが、この日はいつも以上に教会の外にいる方に心を留めようという思いを込めた企画です。
オープンチャーチを開いたからといって、大勢の方がすぐに集まってくるわけではありませんが、教会の外にいる方の目線となってオープンな教会とは何か、入りやすい教会とは何かを皆で考える機会として今後も定期的に続けていきたいと思います。
猛暑の中でも、焼き鳥コーナーはにぎわっています。
いつも人気のケーキと飲み物コーナー。今回も完売です。
礼拝後、ミカエル合唱団を中心に聖歌奉唱が行われました。成先生も急遽参加です。

社団法人として再出発した「あぶらむの会」

パトリック 山田 益男(会員)
当教会出身の大郷博司祭が、立教大学でのチャプレン勤務を経た後、司祭職を休職し1987年、「人生の良き旅人づくり」を目的とした、実践教育活動「あぶらむの会」を創設しました。大学のチャプレンとして学生達と共に過ごす中で、教会内で信徒の羊を牧会するよりも、外へ出て未信徒の羊の世話をすることに自らの召命を感じられたものと推察致します。あぶらむの会は飛彈の山里で小さな産声をあげました。誕生時は土地もなく、ましてや建物もなく、準備資金もない中で無謀とも思えるこの出発を促した原動力は、大郷司祭の目的に対する確信と、「必要なものは必ず与えられる」という信仰と、それに賛同した周りに集う人達の祈りでした。
全くの無からの出発のあぶらむの会に「旅人づくりに励め」という実に多くの支援と協力が寄せられ、数年後に2ha(6千坪)の土地と、心安まる「旅人の宿」、続いて、瞑想の家「諸魂庵」が与えられました。
今日の日本社会は物の豊かさの中にあっても、人々の心は荒れ放題で弱り切った状態あるようです。経済的安定を求めるあまり、予測不能な出来事としての人生に果敢に立ち向かう力が衰え、臆病になってしまった日本です。また、ささやかな人生の負荷に深く挫折し、精神のバランスを崩す若者もたくさんいます。 このような人間の心の疲弊は世界規模で南北問題を増大させ、私たちの旅の舞台である地球環境までも疲弊させてしまいました。このような状況の中で、「他者と共に生きる知恵」を身につけると共に、不確かな出来事としての人生の中で転ぶ事を恐れず、「転んだら起き上がる」力を養い、そして、「やがて自分で自分の魂を世話していく」そんな人生旅路を旅していく、旅人づくりが、あぶらむの会の役割と信じ大郷代表を中心に今日まで歩みを進めてきました。
具体的な働きは、旅人への安息の宿の提供を基本とし、旅人に健康的な食の提供のための無農薬の米と野菜を作ると共に、木工作業所を備え、匠の里飛騨の木工技術を生かした教会ベンチや祭壇、説教台等の教会家具作り等を手がけてきました。実践教育活動としては、小学生の子供たちを対象として夏休みに行われる田んぼや畑での農作業、草木染めや木工、川での水遊び、森の中での飯盒炊飯やテント生活、乗鞍岳の登山、木のぼりやツリーハウス(木の上の小屋)での生活など盛り沢山の内容のあぶらむ夏自然学校のプログラムをはじめとして、中学校、高等学校、看護学校、教会学校、YMCA、ボーイスカウトなどのグループ向けプログラムの提供、更には子供から大人までのグループで訪ねるネパールの旅などを企画実行してきました。悠久という言葉にふさわしく、ゆったりと時を刻む国、物質的貧しさの中にあっても瞳の輝きを失わない人々、ネパールは多くの感動に満ちあふれています。ネパールの人々や雄大な自然とのふれあいのなかで、私達自身の人間的成長を目指すと共に、ものの豊かさのなかで得たもの、また見失ったものを子供も大人もしっかりと見つめ学んでいます。
2004年から始められた特異な働きに、家庭裁判所から委託を受けた少年の補導があります。この家庭裁判所補導委託事業とは、社会で犯罪等の問題を起こしてしまった少年達を6ヶ月間預り、社会生活ができるように養育することがもとめられるものです。多くの場合、家庭環境に問題があり、他者、特に大人への信頼がもてなくなっている状態の子供達です。少年院のような施設に入れるより、経過がよいと裁判所から評価され、期待されているようです。これはひとえに父親役を担う大郷代表と母親役を担う育夫人の愛と情熱と忍耐に負うところが大きいのです。大郷代表は「ここあぶらむの里での共同生活は信頼関係の上に成り立っている。私は性格的にあれこれ規則を設けることは好きではない。規則などない方がいい。人生は自分との約束、規則だからやるのではなく、自分との約束事においてやるものと思っている。しかし、時として少年達との生活の中で通じなくなることがある。『バレなければよい、気づかれなければよい』というささやきがいつかここでの生活を破綻させ、個人の心まで蝕んでしまう。もし今後もこの補導委託の仕事を続けるなら、少年達の心にそのようなささやきが入り込まないようもっと手厚い配慮を考えなければと思う。」と述べています。卒業生?の中には、農作業とか宿の仕事とか色々覚えなくてはならないし、どうしたら更生できるかなど考えさせられ、はじめは少年院の方が楽だったと思ったりしたが、犯罪者扱いや厄介者といった対応ではなく、あぶらむの生活で一人の人間として扱われたこと、自分のために本気で怒ってくれたことで、社会に生きる者としての自分のズレに気付かされたと感謝している少年もいます。難しい重い仕事ですが「あぶらむの会」の大事な働きと位置づけています。
最後に、これから取り組もうとしている新規事業のあぶらむ「里山生活学校」についてご紹介します。この“里山生活学校”は初期のキリスト教主義学校が重視していた“寄宿生活”、“共同生活”を中心にこの自然環境の中で「環境教育」を意識しつつ、“ものを育てる”“ものをつくる”ことを実践しながら、全人格的な青少年の育成を目指すものです。あぶらむの里が立地している「里山」とよばれる地域は、営々と営まれてきた先人達の豊かな知恵に満ちたところです。木の活かし方、用い方、炭焼き等“環境教育”の一つの出発点はこの里山とよばれる地域にあると大郷代表は考えています。また、あぶらむの周辺には“職人”とよばれる人が沢山いてその協力が得られること(大工、家具、陶芸、染色、農園芸、蕎麦打ち等)。そしてまた、あぶらむの会会員の中に各々の分野での著名な方々がおられその協力が得られること等、恵まれた環境条件の中にあります。これらの与えられた環境や条件を活かせば、閉塞した現在の日本の教育状況に対して、一つの大きなインパクトと将来的可能性を示すことができるものと大郷代表は確信しています。そしてこの里山生活学校と家庭裁判所の補導委託による家裁少年との関係ですが、これまでの経験で同じ傾向の問題を有した少年だけを集めるということはあまりよい結果を得ることはできません。“家裁少年”だけを対象にした施設にすることは無理が多く、あまりよい結果を得ることができない、多様な背景を持つ他の少年達の中で普通の一少年として迎え、日々の生活指導を通して気づきを与えていくことが重要と大郷代表は考えています。
今年、永年の懸案であった会の法人化を果たしました。小生は、何年かぶりに現地を訪問しましたが、ウッドデッキコーナー、五右衛門風呂の小屋、木工作業場に連接した里山生活学校準備の建家などの新施設、ピザやパンを焼く窯を備えたイベントコーナーを覆う大屋根の構築を視察し、あぶらむの里が充実した施設となったことを実感しました。一昔前までは日本のあちこちで見られた里山の生活がここにはしっかりと根をはやし現存していますし、板敷きの大広間がある諸魂庵は黙想にもってこいの施設です。皆様にも読みたい本を持ち込み、祈り、黙想し、里山を散策してリフレッシュする場として大いに利用して頂きたいと思います。また、あぶらむの会の働きに関心をお寄せ頂き、ご支援頂ける会員(社団法人社員)の方が増えることを希望しております。
あぶらむの宿 本館
ピザパイおよびパンの焼窯

個人消息、報告、予定など

u英国に留学中の塚田重太郎郎聖職候補生ご一家(奥様:和代さん、長男永遠(ときわ)くん11才、二男(しょう)くん6才、長女(る)(り)ちゃん3才、三男(ま)(しゅう)くん17カ月の6人家族)が、教会に滞在されていましたが、8月末に新しい住まいに転居されました。ご一家の滞在期間中にオープンチャーチも行われ、子供たちの元気な声が響いていました。新しい地での生活に豊かな祝福がありますようにお祈りします。
uいつも礼拝でお祈りしています岩村 忍さんは今月無事退院されたとのことです。 また、瀧澤田加子さん、中本登志さんはそれぞれ御自宅で静養されておられるとのこと。
u715日(日)に教会の大掃除が、暑い中行われました。
u728()に大森アグネス教会デイ・キャンプが行われ当教会からも山田兄、守山ご夫妻が参加しました。
u85()に当教会に於いてオープンチャーチが開催されました
u922日(土・祝日)香蘭女学校にて合同礼拝が行われました。今年はバザールは行わず、宣教協議会の報告と内容の共有を行いました。
u923日(日)に主教巡日として大畑主教がお見えになり、聖霊降臨後第17主日と聖ミカエルの祝日(929日)の礼拝をお奉げ頂いた後、愛餐会が行われました。
以  上