チェ・ゲバラ(Che Guevara)

                        管理牧師 司祭 ヨナ 成 成鍾

「だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ。」(マルコ2:22)

 ‘新しい革袋’について黙想している中に、なぜかチェ・ゲバラのことが思い浮かびました。永遠なる革命家だと言われているエルネスト・チェ・ゲバラ(Ernesto Che Guevara、1928-1967)は、革命家でありながらも今日最も尊敬される一人として、取り分け世界中の若者たちの憧れの対象となっています。それゆえ、彼についての評伝や伝記だけでも何十冊に達し、映画や音楽まで作られ、彼のことを偲ぶための記念物は数え切れないほどです。

 チェ・ゲバラは、キューバ(Cuba)の革命広場にある彼のモザイクに刻まれている言葉のように“革命のため全ての既得権を放棄した人”でした。アルゼンチン(Argentina)のスペイン系出身としてのエリート身分を放棄し、嘱望される医師としての未来を放棄し、さらには国籍までも放棄しながら、彼は革命家としての道に進みます。ところが、彼の既得権を放棄する純粋な生き方はそれだけに止まりません。フィデル・カストロ(Fidel Castro)と共に1959年キューバ革命を成功へ導いた後は、国立銀行総裁や工業長官など国の二番目の実力者としての席が与えられますが全て拒み、アフリカと南米での命かけのゲリラ(guerrilla)人生を送ります。そして1967年10月9日に革命家として39年の人生の終わりを戦場で迎えます。
哲学者のサルトル(Jean-Paul Sartre)は、そのような人生を歩んだ彼のことを“この世紀で最も成熟した人間だった”と評価しました。確かにチェ・ゲバラは革命家である以前に、自分の心をどのように治めるべきなのかを知っていた成熟した人間でした。政治的な革命家である以前に、心の革命家だったのです。それゆえ、永遠なる革命家だと言われるのかもしれません。今、そのような彼のことに、世界中の若者たちは熱狂しています。既にヨーロッパの大規模な反世界化デモなどの集会では、必ず彼の顔が描かれている旗がはためいて、彼のことを記念して制作された本、追悼音盤、映画などはヒットを飛ばしているし、多くの若者は彼の顔写真入りのネックレスやティーシャツなどを宝物のようにして大切に取り扱っています。
なぜ世界中の若者たちは、彼に熱狂し憧れているのでしょうか。答えは明らかです。チェ・ゲバラが純粋で情熱的な人生を、既得権を放棄した自由な人生を生きたからです。政治的な革命家の以前に、心の革命家だったからです。今日の若者たちは、そのような英雄に憧れ、また探しています。今の若者たちは、新しいぶどう酒を入れることが出来る新しい革袋を絶えず探し求めているのです。しかし残念なことに、今日の教会が新しい革袋になって彼らに与えることは出来ないようです。多くの若者が、使徒聖パウロや聖フランシスコのような信仰の先輩たちを、自分たちの心を入れる新しい革袋にすることはしないようです。なぜでしょうか。考えてみますと、それは今日を生きている私たちが、新しい革袋としての役割を果たしていないからかもしれません。いかがでしょうか。今の私たちはキリストを始め、多くの信仰の先輩たちのことを受け入れて、魂の懐で大事に抱きながら熟成しているでしょうか。もしかすると今日の若者たちは、これ以上、私たちの中から心の革命家を探し出すことをしなくなっているのかもしれません。
ぶどう酒が入っている革袋が破られることはありません。むしろ空っぽになった時が危ないのです。空になって内部が乾くと中から切れ目が生じ始めます。表面は問題なさそうに見えるけれども、内部から朽ちてしまうので、破られるのは時間の問題です。革袋としてあなたの中は、キリストによって満たされているのでしょうか。新しいぶどう酒を入れる前に、自分の革袋の状態を確認しなくてはなりません。

新牧師 成 成鍾先生に聞く

成 成鍾先生は聖公会神学院のチャプレンとしての任期を終え、4月からミカエル教会の管理牧師として着任されました。3月までは月2回の協力司祭としてミカエルに来てくださっていましたが、改めて、成先生とゆっくりお話しするために、4月28日(主日)の午後、有志が集まってインタビューをしました。
成先生の意外な一面を知り、思わず「波乱万丈の人生ですね」という声も上がるほど、驚きのひと時でした。特に、成先生が人生の節目に立ったとき、祈りのなかで答えを聞いてこられたことがとても印象に残りました。このインタビューでは聞き足りなかったことがたくさんあります。ぜひ皆さんも成先生のお話を聞きに来てください。
Q     学生時代に打ち込んでいたものは何ですか。そして現在の趣味は何でしょうか。

A     今は趣味はないです。学生時代には、映画やボーリングにも行きましたが、司祭になってからは、生活が単純になりました。日本に来て13年目になりますが、教会のプログラム以外で、映画を観たのは1回だけです。ツタヤも借りません。自然に単純化されてゆき、人間関係は狭くなっています。神さまが導いてくださったと思っています。韓国に行っても同じです。
Q     そのような生活をどう思いますか。
A     良いと思います。満足です。
Q     牧師になろうとするキッカケは何でしたか。
A     母が私をみごもったとき、教会の牧師がそれを知って訪ねてきました。そのとき、母が子どもを神に献げますと誓いました。母の信仰が初めにありました。しかし、私の周りにはたくさん牧師がいましたから、私は牧師になる必要はないと思っていました。私はメソジスト大学の宗教哲学科に入学しました。大学卒業後は舞台美術を学ぼうと思い、モスクワに留学しました。芸術文化で生きていこうと考えていましたが、お金がとてもかかりました。お金を稼ぐために、友人のプロデューサーの紹介で、2年間、テレビドキュメンタリーのシナリオ作家をしていました。シナリオライターになる前に、人生について考えました。神の力を借りるために、山奥の修道院で十日間断食をしましたが、祈りのうちに、「つかむ」のではなく、「はなす」ことに気づきました。悩んだり、祈ったりした末、牧師になる決意をしました。私の義兄も長老派の牧師です。
Q     聖公会の牧師になったのはなぜですか。
A     友人が、私は聖公会が合うかもしれないと言ったことがありました。メソジスト大学から20分のところに、ソウル教区の大聖堂があったので、礼拝に出席しました。韓国の民主化運動時代に聖公会の司祭は新聞に名前の出た人もいましたが、よくは知りませんでした。礼拝では、「聖書が違う、聖書を持っている信徒はいない、立ち座りが多い」という違いがあり、聖公会は分からないと思いました。友人の父は聖公会の司祭で、聖公会大学の大学院長でしたが、その方から、「聖公会は通わないと分からない」と言われ、紹介された教会へ行くことになりました。その教会の礼拝は「これこそ礼拝」と思いました。司祭夫人から聖歌隊に参加してほしいと言われ、通うようになり、その後、聖公会大学の大学院に入学しました。シナリオライターも続けていましたが、時間がなくなりやめました。
Q     聖公会に決めた理由は。
A     礼拝が気に入りました。これこそ自分を献げる礼拝だと思ったのです。そして、小さな教団であったことも理由の一つです。人間には欲があります。一部の大きな教団では人脈やお金がないと、牧師になっても安定した状況で牧会することは難しいです。教会政治によって腐っている部分が多いと感じていました。しかし、聖公会は小さいので、政治的ではなく、自分の欲を出せないシステム(派遣制)になっています。聖公会は美しい教会です。福音に一番近い教会だと思います。福音から離れてユダヤ化している教会もあります。韓国ではキリスト教人口が減ってきていますが、豊かになると教会への関心が減ってくるのだと思います。また小さな教会は負担が重いので、大きな教会に変わる人がいます。特に、一部のプロテスタントからローマ・カトリックや聖公会に変わる人が増えています。
Q     韓国では兵役がありますけれど、成先生も軍隊に入ったのですか。
A     大学時代は民主化運動の時代でしたから、授業はなく、三分の二はデモに参加していました。そして本来は2年半の兵役ですが、軍事訓練に参加すると3か月の免除があり、2年3か月兵役に服しました。38度線近くにも駐留しました。しかし、軍隊の伝道師に選ばれ、その後から銃を手にしたことはありませんでした。その代わりにお茶をもって、皆を訪ねる仕事をしていました。
Q     日本へ来ることを希望されたのですか。
A     日本へ来ることはプサン教区の主教命令でした。聖公会大学の大学院長がプサン教区の主教になっていました。ソウル教区は夫婦の聖職を認めていなかったので、私はプサン教区に移り、妻の朴美賢司祭(当時は執事)と共に、沖縄へ行くことを命じられました。ソウル教区を離れることも、沖縄に行くことも考えたことはありませんでした。海外に移り住むということは、一人の人間として、また聖職としても大きなことでしたので、お祈りの中で御心を求めつつ、沖縄に行く決断をしました。
Q     沖縄から東京へ移られたのは、なぜですか。
A     沖縄で7年半勤めました。以前からアメリカへ留学する希望を持っていたので、それを実行しようとしました。しかし、沖縄教区の谷主教から聖公会神学院のチャプレンに推薦したいという話があり、現実にチャプレンに任じられることになりました。思わぬ出来事でしたが、神様の導きとして受け止め、自分の計画を手放して東京教区へ来ることになりました。
Q     今も留学の希望はあるのですか。
A     実現可能かどうか分かりませんが、お許しと導きがあればアメリカに行き、牧会博士課程で「霊的指導」について学びたいという希望は持っています。
Q     私自身のことですが、職場で自分がクリスチャンであることを話していません。そのことについて聞きたいと思っていましたが、今日、クリスチャンであることを示すこと、「分かち合う」ことが大切というお説教を聞いて、その答えをもらったと思います。
A     今は韓国のキリスト教人口は減っており、危機意識が強くなっています。韓国は教会が大きくなりましたが、中身は、それほど健全だとは言えません。まるで成人病にかかった子どものようです。健康を取り戻すこと、成長よりも霊性が注目されつつあります。祈りは大声でという認識から、沈黙へと変わってきています。それは、ヘンリー・ナウエンの著書が約20年前に出版されたことが、一つのきっかけだったと言えます。今はプロテスタントの教会も「霊性」を学んでいます。韓国では「分かち合いの家」の働きを通して、聖公会に注目が集まり、転入も増えました。しかし、20数年を経た今日、その働きは「社会宣教」なのか、「社会福祉」なのか、「援助」なのか、分からないという批判も起こりました。そのなかで、創立者の一人が「霊性」を学び、スタッフに「福音と霊性」に基づいて社会宣教ができるように指導しています。質問に関係することですが、「言わなくても」自分の中にキリストがあれば、キリストがあふれるのです。それができるように備えることが修練です。「キリストの愛を伝える」ことが大切なのです。自分の愛ではなく、「自分の中にある神の愛」、「信念ではなく信仰」を伝えなければなりません。分け与えることは尽きてきます。ですから、ことに聖職者は信仰をまとわなければなりません。そのためにリトリートをする必要があります。祈りは働きです。自分を通して神が働くのです。
Q     ミカエル教会をどのようにしてゆきたいですか。
A     牧師の務めは、ミカエル教会に信徒は何を求めているのか、信徒の希望に準じるものと思っています。ミカエル教会のメンバーとして、自分のタレント、例えば、「霊性修練とか霊性指導」を生かすことも可能だと思います。
Q     「霊性」の関心はいつごろからですか。
A     大学院生の時です。キリスト教教育連合会の機関誌は、年齢別、グループごとの毎週のプログラムを掲載していますが、その中の青年団の教育プログラムを2年間連載していました。これも教区からの命令でしたが、プログラムを提案しなければならなくなったときに、「霊性」に注目しました。「霊性」は青年に合うと思ったからです。このとき書いたプログラムは、沖縄に行く前に、本にまとめて出版しました。私自身は黙想のために修道院を訪ねていますが、そこでシスターの話に感銘を受けました。私の体験を聞いた聖職者たちは、皆黙想へ行くようになりました。修道院へ行き、生活の中で黙想し続けることで、霊性への関心は理論から実践へと深まったと思います。
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この後も、黙想のことなどについてお話や質問が続きましたが、今回はここまでにいたします。また次の機会に掲載を計画しています。(布川悦子記)
 

ヒルダ・ミッシェル信徒講座

                                                                                                                  パトリック 山田 益男

 【聖職者の不足と信徒の働き】

教会数に比して教役者の数が足りない東京教区の状況、この状況は近い将来より厳しくなることが明らかであることに鑑み、牧会を教役者のみに頼らず、信徒にも担える部分を信徒が分担し、協働して宣教活動を進めることが必要と認められる。先秋の、日本聖公会宣教協議会でも信徒の宣教・牧会への参与の重要性が指摘されたところである。2月3日に開かれた渋谷聖公会聖ミカエル教会受聖餐者総会では、現状に鑑み、今年の当教会の宣教活動として、ヒルダ・ミッシェル信徒講座の開設が決議された。その一つは教会活動の中で、信徒でも担えるはたらきを洗い出し、それを担うことのできる信徒を養成するための講座を準備しようというものである。私たちの聖ミカエル教会は2年間にわたり、牧師のいない教会運営を体験したが、これは5年後には教区内の相当数の教会に起こる状況を先取りした経験であった。その中で、私たちが苦労したこと、また、教会として必要であったができなかったことを踏まえ、聖職が少ない状況下で牧会に於いて手薄となる部分が生じたとしてもそれを補足できる信徒を養成する必要性を痛感したことによる企画である。もう一つの講座は聖職が足りないそもそもの原因は、若い信徒が少ないこと、育たないことにあるという認識に立って、若者が教会に関心を寄せ、集まり教会活動に参画するようになることを目的に企画された講座である。
 
【牧会補助者養成講座】
1つ目の講座は牧会補助者養成講座で、講座内容は次のようなことを想定している。
1)礼拝準備(教会暦、式典色、ベストメンツとオーナメンツの扱い方と準備、聖品の準備と管理)
2)礼拝司式(み言葉の礼拝・勧話・朝の礼拝・夕の礼拝)
3)教会事務(教籍簿、礼拝日誌、結婚簿の記入と管理、週報の作成、信徒への連絡・案内手法)
4)信徒訪問(病者・高齢者・不参信徒)
5)基礎神学講座1(新旧約聖書・教理・聖公会論・霊性)
6)基礎神学講座2(洗礼準備と結婚準備の基礎)
 
【フィールド学習講座】
2つ目の講座はフィールド学習講座で、主として若い信徒を養成することを目指す講座である。昨今は日常の教会活動の中に若い世代の人をあつめ、信徒を養成することは難しい状況にある。その一方で今の教会には関心を示さないが、老人/障がい者施設、病院、被災地での奉仕活動、野宿者支援など社会に密着したボランティア活動には関心を持ち熱心に参加している若者が教会関係者の中でも少なくないという現実もある。このような若者は、奉仕の喜びと同時に活動現場において普段の生活では見えなかった問題への気付きを与えられ、参加することに意義を感じて充実感を得ているようである。しかし、彼らの意識はNPOや市民団体のボランティアと大きな差はなく、信仰的というより人道的な観点で活動しているように見える。実は教会が伝統的に重要な働きとして担ってきた奉仕活動(ディアコニア)は、このボランティア活動と無関係ではないと思われる。社会奉仕として理解している人達が信仰者として社会の現場との関わりを持って活動する人と交流することによって、キリスト者としての関わり方、信仰的な意味づけが与えられ、信仰者として育てられて教会に繋がることを期待するものである。講座内容としては次のようなことを想定している。
1)ボランティア活動経験者と関心を持つ人を集め、各フィールドでのボランティア体験やそこでの感想を分かち合うステップ。
2)フィールド毎にわかれ、その分野での問題点を深めるステップ。
3)社会の中で小さくされている人々の問題を沖縄、広島・長崎を題材に「社会正義と平和」の観点から共に考えるステップ。
4)路上生活者の死を看取る活動をされたマザー・テレサの信仰と奉仕に学ぶステップ。(マザーは自分たちの働きが社会奉仕活動といわれることを極端に嫌っていた。)
5)現場での問題を意識した聖書の学びを通して「主の平和」を考えるステップ。
この講座は、人道的な社会奉仕の意識から、主の平和(シャローム)への意識変革を目指す教育プログラムである。主の平和とは、単に戦争に代表されるような争いのない社会を意味するものではなく、神と人との関係があるべき関係となった状態、神のみ旨に従った秩序をもって人間が共に暮らす「社会とそのような人の心」の状態をさすものといえるであろう。このような講座は前例が無く、独自で開発する必要があるため、開設には相当の準備が必要であり、その後の試行錯誤の蓄積も必要であろうと予想される。
 
【講座開講に向けての状況説明】
この2つの講座は、聖ミカエル教会の事情に対応したものというよりは教区のおかれた状況に対応した企画であることから、当教会独自の信徒講座というよりは、教区レベルで参加者を募り、実施することが適当な講座と解される。そのため、このプログラムについては教区の宣教・教育部門を担当する「信仰と生活委員会」に提案し、当教会との共同企画を期待していたが、教区の同委員会は趣旨に理解を示すものの、具体的取り組みになかなか進めないという状況がある。時間ばかり経過してしまう中で、当教会独自のプログラムとしてスタートさせることを模索している。しかし、人的資源に乏しい小規模教会のプログラムとしては正直なところ荷が重いということもあり、教会委員会では2つの講座を秋から同時スタートさせることは無理ではないかとの指摘がなされている。まずは牧会補助者養成講座の方から、スタートさせること、フィールド学習講座については1シリーズで完結させるのではなく、ワンステップ毎のスポット企画で内容を充実させていくのが適当ではないかなどの指摘がなされている。確かに、「主の平和」の意識を育てると言うことは自立した大人の信徒を養成することに他ならず、とても10回程度のシリーズ講座で身につけられるものではないので、急がず、欲張らない現実的なカリキュラムを組む必要があろう。
【信徒の皆様へのお願い】
教会員の皆様にはヒルダ・ミッシェル信徒講座について、ご理解を深めて頂くと共に、この働きに対するご要望やご意見をお聞かせ頂きたく存じます。また、前述の2つの信徒講座に限らず、聖ミカエル信徒向けの講座として別途希望されるものがあれば、そのような講座の開設も考えたいと思っております。
 

◆7月-9月の予定

7月上旬から

ヒルダ・ミッシェル文庫の発送

昨年から開始した「ヒルダ・ミッシェル文庫」には、今年も沢山の申し込みがありました。審査を経て贈呈が決定した方へ希望図書を発送します。

8月24日(土)

聖アンデレ教会の

ファミリーデイ

城南グループの教会関係者もご参加くださいとのご案内がありました。人数と年齢層を通知する必要があり、参加希望者は、7月28日の城南グループ定例協議会のときまでにお申し出ください。

9月23日(月)

教区フェスティバル

香蘭女学校で開催されます。東京教区創立90周年記念行事も計画されており、今年は夕の礼拝も行われます。

9月29日(日)

主教巡回日

聖ミカエルおよび諸天使の日の礼拝を行い、礼拝後、愛餐会を行います。堅信準備を希望している若者がいることに期待してします。