「4番目の博士になること」

管理牧師 司祭 ヨナ 成 成鍾

クリスマスが近づいています。毎年、今ごろになるとデパートを始め街のお店はクリスマスの雰囲気であふれます。ピカピカ光るクリスマス・ツリー、楽しいクリスマス・キャロル、パン屋さんに並ぶ美味しそうなケーキ、もちろん、沢山のクリスマス・プレゼントも買ってくれる主人を待っています。これが毎年、変わらない街のクリスマスの風景です。
ところで、皆さんは「初めてのクリスマス」のことについて知っていますか。クリスマスとは、イエス様の御誕生を記念する日なので、初めてのクリスマスとは二千年前のイエス様の誕生日のことを意味します。ところが、初めてのクリスマスは、今のように、にぎやかではありませんでした。美味しいケーキとか楽しいそうなキャロルもなかったので、ちょっと寂しいかったかも分かりません。
イエス様は馬小屋でお生まれになったので、馬や羊、ヤギや鳥たちがイエス様のお誕生を見守りました。また、お母さんマリアとお父さんヨセフは東の国からの博士たちを迎え、共に祝いました。美味しいケーキはなかったけれど、博士たちはプレゼントを持ってきてお生まれになったイエス様に捧げました。
ここで、皆さんにクイズを一つ出します。お誕生したイエス様を訪ねて来た博士は何人だったでしょうか。普通3人だと思いますが、実は、何人なのかは分かりません。ただ、彼らが持ってきたプレゼントが3個だから3人だと思い込んでいるだけです。聖書には、プレゼントとして良い香りを出す乳香、キラキラする黄金、貴重な薬である没薬を彼らが持ってきてイエス様に捧げたとは記されているだけで、何人の博士が来たのかについては書かれていません。
なぜ、こういう話をするかと言えば、皆さんが今日の博士になってほしいと思うからです。博士とイエス様に捧げるプレゼントは、二千年前だけではなくて今も必要です。皆さんが今年の博士になってください。4番目の博士になって、何より大切なプレゼントである皆さんご自身を通して、イエス様を迎えお祝いください。そしてその嬉しいお知らせを、家族や周りの人々に、また貧しい人や寂しい人にもお伝えください。4番目の博士であるあなたに、主の祝福がありますように祈ります。
 

第1期ヒルダ・ミッシェル講座

パトリック 山田 益男

 ここ数年に渡り検討されてきましたが、いよいよ1月からヒルダ・ミッシェル信徒講座が開設されます。講座内容は、「キリストに学ぶ『生き方』」とし、各自の日常生活に密着した事柄を、あらためてキリスト・イエスが示された方向性にそって見直してみようという試みです。

 最後の特別講座は別ですが、一般講座の講師は、外部から学者の先生をお招きするのではなく、当教会のメンバーが担当することにいたしました。それは、この講座がアカデミックな学問を学ぶというよりは、日常生活を信仰者の観点から各自の問題として一緒に学びなおそうという趣旨に沿ったものであるためです。教会の信仰生活や聖書に馴染みのない方でも共に学ぶことができる内容にしたいと考えて準備しております。講座の時間は、毎月第1・2.・3水曜日の午後7時から9時までです。

 第1期の講座では、次の三つのテーマを取り上げます。

1月のテーマ「働くということ~労働・職業~」8日・15日・22日

2月のテーマ「人との関わり~友情・愛・人間関係~」5日・12日・19日

3月のテーマ「一人になる時~孤独・誘惑~」5日・12日・19日

 各月のテーマを3回に分けて、第1回目は信仰者の観点(山田益男担当)から、第2回目は聖書の観点(布川悦子担当)から、そして第3回目は霊性の観点(成成鍾司祭担当)から学びます。最後に特別講座として「魂の同伴者~ケネス・リーチの著作から」として、3月26日(水)の午後7時から9時まで、司祭関正勝先生に上記3つのテーマを踏まえて、ケネス・リーチ著「魂の同伴者」の紹介をお願いしてあります。
なお、ケネス・リーチ著『魂の同伴者』は関正勝先生と関澄子夫人が翻訳され、今般、当教会のヒルダ・ミッシェル叢書の第1号として出版されるものです。
信徒の皆様も、友人やご近所の方などをお誘い合わせて第1期ヒルダ・ミッシェル講座にご参加いただければと存じます。

城南グルーブ 「聖歌フェスティバル」の報告

ヨハネ 守山勁一

「聖歌フェスティバル」とは…

 城南グループには聖アンデレ教会、聖オルバン教会、三光教会、真光教会、東京聖マリア教会、大森聖アグネス教会、聖パウロ教会、そして渋谷聖ミカエル教会の8教会があり、8教会が1年毎に交代で幹事を勤めることになっています。2013年はミカエル教会に回ってきた年でした。
このフェスティバルは2000年に当時のオルバン教会のウィリアム・サッカー司祭の提案で始められたもので、1年~1年半くらいの間隔で開催されてきましたが、約7年前から自然休止となっていたものです。
1月に開かれたグループの最初の委員会で、「久しぶりに聖歌フェスティバルを開きませんか」という声がいくつかの教会からあがり、7年ぶりにフェスティバルを開くことが決まりました。

「聖歌フェスティバル」の内容

 フェスティバルを開くための準備委員会は5~6回開かれ、今年のコンセプトは東北大地震に遇われた方たちを思いながら、聖歌を歌い詩編を読み、小さい存在でしかない私たちが何かお役に立てることがあるかを考えてゆくことにしました。

 プログラムの内容

 委員会開催ごとに多くの意見交換をしながら、基本コンセプトに則り決まった聖歌は9曲、詩編が3編でした。途中、司祭さんのお祈りを交えながら参加者全員で聖歌、または詩編を読み、その後に短い黙想を入れながら、次のプログラムに進むという方法をとることに決まりました。

 城南グループの特色は聖オルバン教会という英語による礼拝を行っている教会があるため、礼拝式文も日本語のものと英語のものの二種類を作らなければならないということがあり、実行委員会はこの取り扱いに大変苦労しました。その結果、詩編は日本語と英語のものを併記し、奇数節を日本語で読むと偶数節は英語で読むとか、聖歌については曲目によっては英語版聖歌で同じメロディーのものがある場合は夫々の言葉で歌い、日本語のものしかない場合は歌詞をローマ字に変換してそれを歌っていただくなどの工夫をしました。

 フェスティバル当日

 フェスティバルは11月17日午後3時から聖アンデレ教会で開かれました。参加者は約80名弱で、予期したよりも少なかった感はありますが、参加された皆様からは高い評価をいただいたと思っております。ミカエル教会からは10名ほどの皆様が参加してくださり、ありがたく思っています。

 参加者の少なかった要因として、午後3時からの開催では主日礼拝を各自教会で行った後に参加するには待ち時間が多すぎることが挙げられています。この時間に決まった理由は真光教会が町田市にあるため、この時間にしか来られないということがあります。また、ご奉仕をしてくださるオーガニストの方々(今年は4名)の現地での練習時間をとる必要もあります。然しながら次回の開催時には、この点の克服等も考慮して少しでもより多くの参加者を得たいと思っています。

 なお、セレモニーの司会(M.C)を当教会の永田雄一さんが務めて下さったことを付記します。

堅信を受けるにあたって

桑原ハンビッまり

 私は父が牧師なこともあり、幼いころから教会へ行くことや神を信じることが当然というような感覚を持っていました。そのため、逆に教会や宗教について深く考える機会が無かったように思います。ただ、教会は私にとって幼いころからつねに「温かい場所」というイメージがありました。教会の人々と接していると温かいなぁ、落ち着くなぁといつも思います。そのため、堅信を受けるという話になったとき、教会って何で温かいんだろう、というか、教会って何だろうという風に考えるようになりました。正直、こんな何も知らないくせに何となく漠然と神を信じているだけの私が堅信を受けちゃっていいのか疑問に思ったり、不安に思ったりしています。なので、とりあえず今はこの温かい場所のことを少しずつでも学んでいけたらなと思っています。

教会で過ごす時間

服部 貢士

 教会との出会いは、毎年10月に開催されるバザーがきっかけでした。ある年の秋、20年来の友人に誘われてバザーのお手伝いをさせて頂きました。当時の私は仕事に追われて、休みの日ですら職場に出かけ毎日を過ごしていました。仕事場に居ながら何をすることなく過ぎていく一日であっても、仕事場にいることで不安を解消しているかのごとくそれで満足していたのでしょう。

 リーマンショックの直後、前に進むこともできず、それまで自分のしてきた仕事をすべて否定されているかのように感じ、打開策を見つけることもなくただただ耐える日々でした。
そんな生活の中の一日ぐらい、「教会でのバザーを楽しめたら気分転換にもなるかもしれない」と思ってお手伝いとして参加させていただきました。バザーを終えて、教会の皆さんとの会話や出会いを楽しめたことで充実感を感じました。またそれ以上に多くの人から感謝の言葉をかけて頂き、とても良い気持ちになりました。何気なく足を運んだ教会での一日は、今まで想像していた教会のイメージとは違い、非常に親近感を感じることが出来ました。

 そんな教会との出会いから一年後、同じく秋のバザーに二回目のお手伝いをさせて頂いた時には、前回のバザーのことを覚えていてくれた皆さんとの再会。最初の時とはまた一味違った充実感を感じました。当時、私は公私共に転機の時期でも有りましたので、教会での時間が新鮮であり皆さんの優しさを自分の中に自然に溶け込むかのように受け入れることができました。なおかつ喜びをも感じていたのです。しばらくして、毎週のように礼拝の時間に足を運んでいる私がいました。この3年間の教会生活を過ごしてきて過去の自分から生まれ変わって、新たな成長と共に信仰を深め、多くの事を学んで行くことのできる生涯を送ることを期待して、また望んで日々を送りたいと思っています。

教会と私

水野 まさみ

 私はミッションスクールの中学校でしたので教会に行き、高校3年時に受洗し、結婚後北関東で暮したことがきっかけで、聖公会に転籍しました。独立した2人の娘がおり、今は気楽に仕事をし社会的地位はありません。音楽は好きですが、得意でもありません。そこで毎日2人で助け合って暮していきたいというところに落ち着いています。

 こんな私が「神様の栄光って何だろう」そんなことをボンヤリ考えながら秋の黙想会に参加しました。「祈る人になりたい」と受洗の時強く思ったこと、大学時代に教会の分裂ということが起きた時、力になってくれたのは祈る他教会の学生だったことなどを思い出しつつ。シスターに叱咤(激励)され、聖書を静かに読みたい気持ちが湧いてきました。

 さらに思い返すと強く印象に残っていることは、小学時と受洗前の経験です。中学入学前にクラスメートに誘われ、近所の教会に行きました。「あなたの罪のために~」といきなり十字架の福音が語られました。私は何故か伯父にあたる人が中国人殺害を指揮したことを感じました。彼は、3月の浅草(東京)の空襲で家屋や父親と兄弟を亡くしたことを電報で知り、弱い者へその怒りとやるせなさをぶつけたのだと子供ながらに私は悟りました。日本全体で(或いは現在も外国でも)どれ程の人がそうした行き場のない憤怒から衝動的な醜悪な行動を起こしてしまったことでしょう。これが罪なのだと思いました。

 “そのために神の子が十字架につけられた”私はこれは真実で何よりも大切なことだと臓腑に刻まれてしまいました。この時は幼く、現在と違い自身で罪の自覚はありませんでしたが。また受洗前は神学生が教会学校教師だったのでヘブル語やK.バルトの話等をしてもらいました。この2つが強い経験でした。

 今日はクリスマスを前にグレゴリオ聖歌のお話を聞いたのでご紹介したいと思います。

1「あなたはわたしの子、きょうあなたを生んだ」 <夜半ミサから入祭唱>

2「権威が彼の肩にある」

 <日中ミサから入祭唱>

3「なぜ、国々は騒ぎ立ち、民はむなしく叫ぶのか」<夜半ミサから入祭唱>

4「聖なる日は、わたしたちの上に輝いた

 民よ、来て主を礼拝せよ。

 今日、大きな光は地にくだったからである。」<アレルヤ唱>

 1~3が十字架を含むクリスマスの出来事の意味だそうです。キリストというペルソナはそのまま神の形でいても良かったのかもしれないが、私達人間と全く同じ(怒り、泣き、お腹がすくという)体験をなさり、私達に分かる形で神様の愛を分からそうとなさった。受ける、受けないは人間側の問題だけど全ての人を神は愛され救われている。だから、4「民よ、来て主を礼拝せよ」に繋がるそうです。これが私は「何だろう?」と思っていた神様(の栄光)の内容なのだと思って、「主よ、我が弱き足を守りて一足また一足導きゆかせ給え」の通り、またこうして少しずつ導かれたいと願いました。

 聖ミカエル教会では雑用など何でも行いますのでよろしくお願い致します。十字架の福音(イエス様は神の国の福音を説いてこちらはパウロだとか)を聞くこと、聖書や教会の働きについて語りがあること。(その上に奉仕、賛美があること)私はこの2つを聞かなかったら教会に繋がらず全ての人に用意された神の救いと愛に会わず、諸先輩に学ぶこともなかったので、こちらの教会でこの2つのことを恒に見つめていこう、私も働いていきたいと祈っております。

ミカエルに転籍しました

松田 伸剛

 7月に立教チャペルから転籍しました、松田伸剛(のぶたけ)と申します。聖ミカエル教会で皆さんといっしょに礼拝をするようになるまでのことをお話し致します。

 10年程前、突然私に受難(と表現して良いのでしょうか・・・)が訪れました。それまでの自分は、決して順風満帆ではありませんでしたが、「自分は何とかやっている」と思い込んでいました。ところが、パートナーとの不和から家族との別居、さらには離婚を受け入れざるを得なくなってしまいました。今までの自分が全否定されてしまった感じにとらわれてしまい、仕事もうまくいかなくなり、大変辛い苦しい思いをしました。

 そんな時期に、野球好きの息子にせがまれて東京六大学野球、立教・早稲田戦を観戦していたときです。応援席で選手を信頼して必死にエールを送り、キラキラの笑顔で応援する立教大学の応援団の学生に、私はすっかり心を打たれてしまいました。(相手を信じて応援することは祈りと同じでないでしょうか?) 彼らは私にとって大きな救いとなりました。

 彼らに感謝のお礼がしたく、立教大学を訪ねた後でした。キャンパス内のチャペル、礼拝堂から聴こえるパイプオルガンの奏楽の音に惹きこまれて、「また聴いて癒やされたい」と、チャペルの主日礼拝に通うようになり、司祭、チャプレンの説教と講話に導かれて洗礼に授かることができました。

 洗礼に授かったものの、イエス・キリスト、キリスト教、三位一体の理解がままならず、あちこちの教会の礼拝に伺ったり、レクチャーに参加したり、東日本大震災の被災者支援をしてみたりと自分なりに活動してみましたが、ヒューマニズムの域から出ることのできない自分がいました。今もってそのようです。

 そんな折、李民洙司祭のカフェ・エクレシアの神学講座で、成成鍾司祭の霊性神学に触れる機会が与えられ、友人の神学生の薦めもあって、聖ミカエル教会でお世話になる許しを戴きました。聖ミカエル教会には、大斎節の時に一度お伺いしたことがあり、印象深い教会として記憶に残っていました。信徒の方々がしっかりと自分達自身で礼拝を準備されて執り行っていて、とても活気のある雰囲気にいたく感銘したことを覚えています。

 今は、皆さんに迎え入れられ感謝の日々です。これからも心を尽くし思いを尽くして、教会の様々な役割を担えるよう、ご指導賜りたく、よろしくお願い致します。

 降臨節を迎えて、イエス様の生誕を前に「自分は神様から、主の栄光に向かってこれをしなさい」と命じられているのに、気づけてない自分がいます。相手を信頼してなければ、自分が相手に何かを依頼できないように、私が主を信じなければ、主は私に役目を与えてくださらないのではないかと。神様との信頼ができて初めて主は私に役目を命ぜられるのだと思います。ヨハネによる福音書14章を最近読んで思いました。「主よ、あなたがわたしの内にいて、わたしが主の内にいますように。わたしが主のご意思になることを恐れず、主に与えられた賜物をもって、全ての生きとし生けるものに愛を与えられますように。思い苦しみながらも主の恵みに護られている喜びをわたしにお与えくださりますように。」

尊きみ子、主イエスのみ名によって、この祈りを主におささげいたします。アーメン

逝去者記念礼拝のご報告

パウラ 青木 美菜

 11月2日、小平墓地で行われた東京教区逝去者記念礼拝に参加してまいりました。

 教区共同墓地の前での礼拝、聖餐式にはおよそ100名の方が参列していました。大畑主教様からは、「イエス様の墓の前で泣いていた婦人が振り返って、そこに立っておられるイエス様に気づいたように、私達も共に居てくださるイエス様に気づき、前を向いて、イエス様と共に歩んでいきましょう」というメッセージをいただきました。

 聖餐式の後は、成先生の司式のもと、ミカエル教会の共同墓地前でのお祈りに続き、守山家のお墓と山田家のお墓前で、お祈りしました。とっても寒い日でしたが、神様のもとに召された方々の微笑を感じ、温かい気持ちになれた一日でした。お車を出してくださった守山さん、瀬畑さん、平林さん、どうもありがとうございました。

ミカエルの「ゑビス亭」

 9月の教区フェスティバルでは、「ゑビス亭」を出店し、ホットドックとゆず茶を販売しました。ミカエルの青年会と中学生が大活躍の一日でした。今年は三人の若者が堅信を受け、受洗者も誕生し、たくさんの転入者を迎えて、ミカエル教会に笑顔があふれるようになりました。来年もますます力強く歩むことができますように。

◆12月-1月の予定

12月24日(火)
晩祷(キャンドル)サービス・クリスマス第1聖餐式
午後7時から晩祷(キャンドルサービス)、その後お茶の会。午後9時からクリスマス第1聖餐式を行います。ご近所の方に参加を呼び掛けます。
12月25日(水)
クリスマス第3聖餐式
午前10時30分からクリスマス第3聖餐式を行います。
2014年
1月1日(水)
新年礼拝
主イエス命名の日
午前11時から新年礼拝を献げます。
1月8日(水)
ヒルダ・ミッシェル信徒講座
午後7時から9時まで。1月は、15日・22日にも講座が開かれます。
1月10日(金)
観想黙想会
午後7時30分から9時。