<み言葉の礼拝についての私達の捉え方>
私達は、司祭の居ない状況下で主日礼拝を守る際、「朝の礼拝」ではなく、「み言葉の礼拝」を行うことが日本聖公会の中で奨励されてきたと理解しています。ところが、実際にみ言葉の礼拝を実施してみると、信徒による勧話が高いハードルとなって、その実施を困難にしているという事実があることを否定できません。
「み言葉の礼拝」式文の「*み言葉の分かち合い」の箇所のルブリックには「勧話または説教をする。 あるいは勧話または説教にかえて、当日のみ言葉を分かち合ってもよい。」と書かれていることから、勧話はこの礼拝における必須の要件とはされてないものの、最も望ましい形と位置づけされていると私達は理解しております。
また、勧話を行わない場合でも、当日のみ言葉を会衆全体で分かち合うことが求められていますから、聖書日課の学びは不可欠な要件であると理解しております。

<み言葉の礼拝継続を困難にしている一因と私達が考えていることとそれへの対策>
私達は何の訓練も受けていない信徒に、その奉仕を強いることには無理があると感じ、「み言葉の礼拝」を実りあるものにするためには勧話奉仕者をサポートし、育成する態勢が必要であろうとの認識を持っています。
また、信徒による勧話をサポートする上で最も必要と思われるものは、選定されている聖書箇所の解説資料であると考え、まずはそれを提供すること、次にそれを用いて聖書箇所を学んだあと、それを勧話として全会衆で分かち合うためにはどのような準備をすればよいのか、ワークショップの形で実施しながら、経験を重ねて学ぶことが有効であろうと考え、本企画に至ったものです。
https://shibuya-michael.com/2018/08/2437

2018年8月
澁谷聖公会聖ミカエル教会
第5回ヒルダ・ミッシェル講座準備委員会