第1話 日本人の宗教感覚

2009年4月19日

日本人でキリスト教という宗教を聞いたことがない人はまずいないといってよいでありましょう。

仏教、イスラム教と共に世界三大宗教の一つとして広く認知されている。

しかしそのキリスト教の内容、教義についての理解度はとなるとかなり怪しげである。

今日の日本人の大半が自分は無神論者であると思っていて、真面目な宗教は人を良い方向に導く面を持っているとしてその有用性を認めつつも、自分には必要でないものと思っており、「神」なる存在を認めようとしない。

この無神論者を自認する御仁は、霊などという五感を通して感じ取れないもの、物理的に把握できないものの存在を信じることは非科学的なことと思っている節がある。

一旦この世に生を受けた人間は存命中に肉体的、知的、精神的活動を営むものの、誰しも例外なく迎えることになる死の時をもって永遠に無に帰するものと考えている。

人間は時間と空間の次元に閉じこめられた生物学的存在とだけ捉え、同時に霊的存在でもあるとは考えないようである。

したがって、人生において他者を愛する思いも、時として命をかけて守ろうとする価値観もそれは脳内でなされた知的もしくは精神的活動であって、生物学的な死によってすべては無と化すと考えている。

しかし、人の死はすべての終わりなのであろうか、人生とはひとときの夢であり結局のところ無に帰してしまうだけのものなのであろうか。

そのように考える人には理解できないであろう「永遠の命」「復活」というキリスト教のメッセージは、人間の存在は生物学的な死をもって消滅するものではないということを教えてしているように私には思えます。

すなわち、朽ちる運命にある身体としてだけで生きるのではなく、朽ちない存在としての霊的な自分を育てるように生きなさいとのメーセージであると思えます。

人生において外なる人は衰え滅んでも、内なる人は成長する(第2コリント4-16)と、初代教会の伝道者である聖パウロは述べています。