第11話 あなたは何を大事なものとしてこの人生を歩みますか?

 今をどう生きるか?この問いは万人に突き付けられている課題であると言える。私のように現職を解かれ、老い先も見えてきたような老人であっても例外ではない。社会的な雑事から解放されてきているが、人としては現役で今日を生き(生かされ)ている。時(状況)の流れに身を任せただ漫然と時を過ごす姿に命は宿らない。過去の思い出に、明日の夢に身を託していてはならない、人とは今を生きる存在なのである。

人は自由意志なるものを与えられ、自らの判断をもって行動するように造られていることを確認してきた。その判断はどのようになされるのかといえば、自らが置かれた状況を五感、感性で感じ取り、知性をもってどのような行動を起こすか判断する。その知性とは生まれながらに備えていると思われる判断基準(理性)と経験の中で蓄積してきた情報、培われてきた判断基準があると考察される。

培われてきた人の判断基準は、教育によって大きな影響を受けることを見てきた。昭和初期(戦前・戦中)の少年が皆軍国少年であったこと、ドイツのヒットラー・ユーゲント「ヒットラー青少年団」などはその典型といえる。しかし、歪んだプロパガンダによって、狂った愛国心を植え付けられた人間も、その歪が解かれると理性の働きによって徐々に正常さを取り戻していくものであることも人は経験的に学んだ。

今日の日本で生活している我々は、人類の歴史の中では恵まれた状況にあると言えよう。内戦などの混乱はなく、言論・思想の自由がそれなりに認められており、貧富の差があるとはいえ飢え死にする人は極めて少ない。偏ったプロパガンダで理性が歪まされている状況にもなさそうである。では全く、健全な社会に生かされているかといえば、そうともいえないようだ。とりわけ豊かさを富の面からしかとらえられないで、経済発展が最優先されている社会。個人もその社会で豊かに安定した生活を得ることが最大の関心事と考えている人が多いように感じる。普段当然のことと思っていることでも、そのように思わされている社会的歪の影響を受けていることを否定できない。感性、理性が与えられ、それを用いて自由なる意思決定ができるように造られている私たち人間は、時の流れにただ流されることなく、時として立ち止まり、自ら置かれた状況を感じ取り、自らの歩みの在り方を考え、自ら行動をとることが大事ではないか。ひとりひとり異なるタレントが与えられているその人が生きるということは、その作業を放棄しては成り立たない。他者と同じように生きればよいということではないはずである。人並みに生きられればそれでよしとするのではなく、自分が自分らしく他者と異なる存在として生きることが大事であろう。それは社会にあって人より優れたことをすべきということではない。社会は個々の人の共同体(コニュニティ)として形成されるものであるが、その共同体を構成する一つの細胞として個は位置づけられるところ、個々の細胞は他の細胞とは異なる働きをもって共同体を生かしているのである。

人が生きてゆくためには働かなければならないことは、いわば宿命の様なものであり、人はそれぞれに社会における何らかの役割を担って生きてゆくことになる。日本は、植民地からの搾取で富を得ていた欧米列強のような利権を獲得しようとして富国強兵政策を採用したが失敗し、戦後は丸裸になって再起を期した。資源がないので輸入しそれを加工して物造りに精を出し、工業製品を輸出することによって益を出し、経済大国になっていった。しかし、国が富むに伴い人件費が高騰したことでコスト競争に勝てず、生産現場は国内から消えて人件費の安い外国に移されることになった。技術立国日本の影が薄くなったのは技術競争に後れを取ったからではなく、価格競争に負けたのであった。ここには安い賃金で働かされている人たちがいること、世界における格差の問題があることを忘れてはならない。戦後日本の再起を担った団塊世代は、ひたすら仕事優先で定年まで働き続けた。職を外されて、はじめて仕事最優先の生き方に疑問を感じた人が多い。働くことにまじめではあったが、立ち止まって、現実を見極めその時その時を考え、自由意志を使って歩むことを怠ったのだ。

人はことが順調に進んでいる時は、物を考えないように造られているのかもしれない。困難に遭遇したとき、苦しい時にこそ、人は大事な学びをさせられるようだ。日本人は他国の人とは違う特異な経験を積まされているように思われる。日本人だけでも300万人もの戦死者が出た太平洋戦争を通し、沖縄では一般市民が住む地域が戦場となって、双方で20万人の犠牲者が出、広島・長崎では一般市民が被爆して唯一の被爆国となって、戦争の悲惨さ・愚かさを骨の髄まで体験した日本、物造り日本として富と豊かさを得た一方、それだけでは人は幸福にはなれないことを教えられた私達、更には平穏な日常に突然襲い掛かった東日本大震災という人の力を圧倒する自然災害の経験。私たち日本人は、このような困難と向き合わされて、人間にとって本当に大切なものは何であるのか、何を基準として生きるのかを問われ、学ばされているように思われる。

個々の人に求められることは決して偉大な業績ではないと思われるが、大切なことは自分をはじめとした身内のことだけを考えるのではなく、関係性の中で生かされるものである我々は不完全ながらも与えられている理性・感性そして蓄積した知識をもって、自らが置かれた状況を自ら感じ取り、自ら考えて「皆で支え、共に生きてゆく新しい人間社会」を創ることではないだろうか。

 

おわりに

 さて、この小文に最後まで付き合って下さったあなたに感謝すると共に一言申し上げます。あなたは自分という存在が神によって造られた存在であると思われるか、偶然の結果の産物であると思われるか?そして、そのように考えるあなたは今からどのように生きようと思われるか?いずれの立場をとるにせよ、この問題はあなたが他者とは異なる唯一の存在として世に送り出されている故に、あなた自身が、判断し責任をもって回答しなければならないのです。