主イエスに従い、三年もの間生活を共にしながらも、主イエスの教えを正しく理解できず、見当違いの期待をするような物分りの悪かった弟子達。主イエスの受難に際しては、自分達に累が及ぶことを恐れ、主イエスの弟子であることを否定し、密かに隠れていた臆病者の弟子達が、復活した主イエスに出会った後、人が変わったように、否全く人が変わって、主イエスの教えを正しく理解し、迫害を恐れず命を懸けてキリスト・イエスの証人となった大異変に着目してみたいと存じます。小生は、そこにキリスト者の信仰の基盤が示されていると思えるからです。そこで、主イエスとの出会いから初代教会を築くまでの弟子達の心の変遷を追ってみたいと存じます。

 

今回はまず、主イエスと出会い、主イエスに従った弟子達の思いはどのようなものであったか、その代表例としてペテロとその兄弟アンデレのケースを検証してみたいと存じます。マタイとマルコ福音書によれば、ガリラヤ湖のほとりで網を打っている二人に「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう。」と声をかけると網を捨てて従った。」とありますが、この記述はあまりに唐突で、仕事も家庭も放棄して主イエスに従った理由がよく理解できません。ルカによる福音書では「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。」とあり、船の上から主イエスが集まった人々に説教をされた後、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われ大漁という結果を示されたことが記述されています。ルカの記述からは、この時、主イエスは既に神の言葉を聞かせてくれる特異な存在として人々の評判になっていたことが窺えます。シモンは漁師である自分たちが一晩中漁をして不漁であったのに、漁師でもない主イエスが漁を指揮したら豊漁となったという出来事の前にこの方はただ者ではないと恐れをなしたが、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」言われ、従ったと説明されております。

 

ヨハネによる福音書では「(洗礼者)ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。」二人の弟子は洗礼者ヨハネの紹介で主イエスに興味を抱いてついていった。この弟子の一人がアンデレとなっている。彼は、まず自分の兄弟シモン(ペテロ)に会って、「わたしたちはメシアに出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファと呼ぶことにする」と言われ弟子になったと説明されています。ルカの説明と異なるようにも見えますが、両福音記者はそれぞれに独自の取材をして事実を伝えているものと思われます。洗礼者ヨハネがその場に立ち会っていたか否かは定かではありませんが、主イエス洗礼時の記述にもあるように洗礼者ヨハネが主イエスをメシアとして人々に紹介し、人々が主イエスに注目していたことは事実であると思われます。ルカが「神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。」と説明していることも、そのためと推察されます。

 

また、ヨハネによる福音書には、ナタナエルとの出会いの場で、「ナタナエルは答えた。『ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。』イエスは答えて言われた。『いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。』更に言われた。『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』」との記述があります。

 

以上のことを総合して判断すると、弟子たちは主イエスが単なる偉人や賢人としてではなく、神から遣わされた預言者もしくはメシア(救い主)という特別の存在であると認識し、すべてを捨てて従ったものと解されます。しかし、この当時の弟子たちが抱いていたメシア像とは、当時のユダヤ社会が抱いていたものと大きな差はなかったように思われます。すなわち、ローマ帝国に支配され、選民としてのプライドを傷つけられていたイスラエルの民を、ローマ帝国から解放し、かつてのダビデやソロモン時代のような独立した国家を築く王がメシアとして神様から遣わされると信じていたと解されます。知恵ある者、賢い者ではなく、幼子のように純真で謙虚な者として弟子達を選任した主イエスの御心と、弟子達が主イエスにメシアとして期待する思いとは相当なへだたりがあったと推察されます。主イエスは弟子たちの関心や理解が不十分であることをよくご存知の上で、この者たちもいずれは理解する時がくると弟子達を受け入れられていたことがナタナエルとの会話から分かります。