マグダラのマリアと他の夫人(この時のメンバーは福音書によって違いがある)が、イエスの墓に行き、主イエスの亡骸が取り去られているのを発見した。これはすべての福音書が共通して伝えている出来事です。
マルコ福音書では墓につくと蓋にしていた石が転がされ、天使がいてイエスが復活したこと、そしてガリラヤで弟子達と会うからペテロ達に知らせるようにと告げられたこと、その後、マグダラのマリアに御姿を顕され、田舎に行く二人の弟子に顕れたこと、十一弟子が食事をしているときに顕れ、宣教の命令が出されたことが記されています。
マタイ福音書は大きな地震があって、天使が天から下ってきて蓋にしていた石を転がし、イエスが復活したこと、そしてガリラヤに先に行かれ、そこで弟子達と会うとペテロ達に知らせるようにと告げられたと記されており、更に、マタイ福音書は主イエスが婦人達に姿を見せ、ガリラヤに先に行き、そこで弟子達と会うとご自身で告げ、弟子たちはガリラヤの指定された山で主イエスに会い、宣教の命を受けたと記しています。
ルカ福音書は、石がわきに転がされ、中に主イエスの亡骸がなかったこと、輝く衣を着た二人の天使がいてあの方はここにはいない、復活されたと告げられ、「人の子は必ず罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と告げられたではないか。」と主イエスのガリラヤでの言葉を婦人達に思い出させた。このことを婦人達は弟子たちに伝えた。しかし、弟子たちはたわごととして婦人達の話を信じなかったと記述されています。更に、ルカは二人の弟子(十二使徒とではない)がエマオに下る途上で主イエスに出会った逸話を記述し、彼らが弟子たちに報告しようとエルサレムに戻ってみると、すでに復活された主イエスはシモン(ペテロ)に現れたことが、そして、その報告の場に復活の主イエスが真ん中に立たれて「あなたがたに平和があるように」といわれたと記しています。
ヨハネ福音書は、マグダナのマリアが墓に行くと石が取のけられていたのでペテロとヨハネに知らせた。ペテロが主イエスの亡骸がないのを確認したこと、墓の前でマリアが泣いていると主イエスが顕れ、次に鍵をかけて潜んでいた弟子達の前に「平和があるように」といって顕れたこと、復活を信じないトマスがいる時に再度弟子たちに顕れたこと、その後、ガリラヤのティベリオス湖畔でペテロをはじめとする7人御弟子たちに顕れたことが記されている。
マグダラのマリヤや弟子達に復活の姿を顕された主イエス、その実態はどのようなものであったのでしょうか。ちょっと想像してみましょう。彼らが見て主イエスと分かったのですから、視覚的に認識できたことになります。ルカ福音書は弟子たちが亡霊と誤解しないように手足があることを触って確認しなさいと言われたと記述し、ヨハネ福音書はマグダラのマリアにはまだ父のもとに行っていないから触ってはいけないと言われたと、また、トマスには手を伸ばし、私の脇腹に入れなさいと言われたと記述しています。しかし、鍵のかけられた部屋に突然顕れ、また消えたということですから、その実体は肉としての体ではなく、霊の体であったと推定されます。当時のユダヤ社会で考えられていた復活とは、ある人(例えば洗礼者ヨハネ)の霊が他の人(イエス)に宿るとか、死んだ者が次世代の人に生まれ変わる(輪廻)とか、あるいはラザロやタリタクムの少女のように息を吹き返す蘇生のイメージであったと推定されますが、主イエスの復活はそのいずれとも違った形でありました。物分りが決して良いとはいえない弟子たちに主イエスがキリストとしてなされたこと、すなわち、神の愛の極みとしての「受難と復活」の意味を理解させなければならないと考えられた神様のご意志が、この復活の御姿を弟子たちに示すという形をとられたものと推察されます。主イエスは十字架上での死を経て、肉体を纏う存在ではなくなりましたが、決して消えてなくなったのではなく、霊として人々と共にいる存在であることを復活の姿を顕すことによって教示されたのでしょう。
この主イエスの御姿を見た弟子たちは、主イエスが生きておられることを確認し、絶望のどん底にあった心の闇に希望の光が照射されて、一気に舞い上がったものと推察されます。それは、主イエスを見捨てて裏切った弟子たちの中に立ち、裏切りを咎めることもなく、「シャローム(あなた方に平和があるように)」と声をかけられたことにより、主は生きており、自分たちはその主に赦され受け入れられているという確信を得たからでありましょう。この主イエスの愛が絶望のうちに打ち拉がれていた弟子たちを立ち上がらせる力となったことだけは確かでしょう。この気持ちの変化こそがキリスト者として重大な第一歩となったのでした。しかし、この時点で、弟子たちが主イエスのキリストとしての意味を正しく理解したことは定かではありません。メシアである主イエスが何故、十字架にかかり、なすすべもなく死ななければならなかったのか。その問題についてはいまだ未解決の状態であったのではないかと小生は推察致します。
弟子たちが抱いていたメシア像は当時のユダヤ社会がイメージしていたこの世の理想の王としての形をとるものと大差はなく、イザヤの示した「苦難のしもべ」と重なるとはまだとても思い至らなかったものと思われます。