幼な子イエスの誕生をあなたとご一緒に祝いたい
嘱託司祭 バルナバ 関 正勝
「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(ヨハネ1.14)
クリスマスおめでとうございます。この挨拶のことばにこめられた大きな大きな喜びと希望がわたしたちの住む世界に、ことに渋谷聖ミカエル教会に連なるすべての方々の心とからだ全身を包み込むことが出来ますようにと心から願い祈っております。
幼な子イエスの誕生と共に始まるわたしたちの一年ですが、皆様の過ぎ去った一年2011年はどのような一年であったでしょうか?聖ヨハネは神が肉をとって、「わたしたちの間に宿られた」と告げています。驚くべきメッセ―ジです。3月11日東日本を襲った大津波と福島第一原発の大事故による大災害は多くの人々のいのちを奪い、そして積み上げてきた歴史・地域文化を破壊しました。自然に内在しないエネルギ-に支えられた経済発展の脆弱さを思い知らされました。あらためて自然との調和・共存の意義が突きつけられように思います。GDPの基準にはよらないGDH(幸福度)を求めるブ-タン国からの国王夫妻の来日は、わたしたちの経済成長による肥大化した欲望に問いを投げかけました。 イエス誕生の喜びを共に出来ない現実は、わたしたちの日常性を破壊した天災・人災による悲劇なのでしょうか?神は何処にいるのか?という深刻な問いが聞こえます。しかし、同時に神がわたしたちの間に宿った、との確信を悲惨的な現実に抗って立ち上がって歩き出している人々とその人々を支援いている人々のうちに見い出します。信じる行為は1+1=2という因果律とは異なり、それを超えます。ナチズムと戦ったドイツの牧師・神学者ボンヘッファ-は「信じる者になりたい」と語りました。その背景には神の苦しみにキリスト者も与る者、との生き方がありました。彼は言います。「宗教的行為がキリスト者を造るのではなくて、この世の生活の中で神の苦しみにあずかることがキリスト者を造る」と。わたしたちの一年数え切れない困難や悲劇に遭遇して、1+1が2とはなりえない現実を知らされました。だからこそ、いや、それにもかかわらず「わたしたちの間に宿られ」て苦しんでおられる神を信じて、神の協働創造者とされたいとわたしたちは願います。幼な子誕生にこめられた、わたしたちを「照らす光」(1.4)をご一緒に喜びたいのです。
東京教区フェスティバルへの出店
バルナバ 山田 奨
9月19日(月)敬老の日、「祈ろう、ともに」とのテーマで開催された今年の東京教区フェスティバル。3月11日の東日本大震災を覚えて、東京教区が一つとなって祈る機会としたいという願いから定められました。
聖餐式のあと、全部で52ものブースで出店、出展が行われ、聖ミカエル教会からも焼き鳥、ゆず茶、ウーロン茶、クッキー、信徒作成コラム集の販売店を出店致しました。
焼き鳥は炭火を使った本格的なもので、1週間前には教会敷地内でリハーサルを行っていましたが、販売から1時間もせずに完売となる盛況振りでした。
香蘭女学校からは5人の生徒さんが駆け付けてくださり、販売を手伝って頂きました。彼女らの活躍により、他の出品もほとんどを完売することができました。
売り上げ¥31,400から経費を差し引いた¥10,893を東日本大震災への義援金としてお捧げすることができました。
当日、ご協力いただきました信徒の方、香蘭女学校の生徒の方、先生方、また応援にかけつけてくださった方々にこの場で改めて感謝を申し上げます。
ご協力いただきました信徒の方からは「来年は焼き鳥専用の炭焼き機を購入して臨もう」といった来年に向けた意気込みも聞かれました。
少し暖かくなってくる頃、また焼き鳥が食べたい、、ではなくて来年のフェスティバルに向けたリハーサルが必要ではないかなと思っています。
聖公会東京311ボランティアチーム 活動報告③
カタリナ 楡原 民佳
「聖公会東京311ボランティアチーム」のいわき市と東京都内での活動も、10ヶ月目に入った。
今、私たちは都内避難者に毛布を配っている。その毛布は真空パックされていて、パックには「災害時救援用毛布」と記されている。各地の自治体が災害時に使用するために備蓄しているものだ。
「毛布が大量にあるんだけど要らない?」と「桜色のほうき星会」の通称ビッグママに声をかけられたのは、11月中旬のことだった。聞くところによると、全国各地からいわき市に送られた災害時救援用毛布が未使用のまま大量に残っており、いわき市が民間支援者などの引き取り先を探しているとのこと。処分されてしまうのはもったいないと、「湯本第二中学校」(以下、「湯本二中」)の校長先生や「グローバルミッションセンター」などが、毛布約一千枚を保管しているとのことだった。
私は「欲しい!」と、即答した。東京も寒くなり始め、都内に暮らす避難者から寒さに対する不安の声が上がり始めていた。東京災害支援ネット「とすねっと」を通して行ったニーズ調査でも、毛布を要望する声が多いことが分かっていた。しかし数百枚の毛布をすぐに用意できる見込みがなく、どうしたものかと悩んでいたからだ。
そのころ東京都では、旅館やホテルなどで避難所生活を送っていた人たちの、公営住宅や民間アパートなどへの引越しが続いていた。これは、東京都が避難所の10月末閉鎖を決定したためである。
避難者が都内の公営住宅(都営住宅や国家公務員宿舎)に移る場合、その住宅は「仮設住宅」扱いとなり、日赤家電6点セットが支給される他、東京都から布団などが支給される。被災した東北の三県では、冬に向けて、仮設住宅の寒さ対策が施されたり、暖房器具が支給されたりしているが、東京都ではそのような措置はされておらず、避難者の方々は、支給された敷布団と夏掛け2枚、あるいは敷布団と掛け布団1枚で我慢しているのが現状だ。だから、今回の毛布の話は大変ありがたいものだった。
ところで、私たちが初めていわき市を訪問し炊き出しを行ったのは3月30日のことである。その時に、いわき市民の坂本さんという青年が、炊き出しのうわさを耳にして、見ず知らずの私のところにやってきて訴えた。「自分たちで炊き出しなどをしたいと思っているが、いわき市には食料も燃料もない。」「イベントとして一回きりで終わるのではなく、継続してきて欲しい。」「ここよりももっともっと危機的な避難所がたくさんある。案内するから定期的に来て見て欲しい。」と。この彼の言葉と思いが、私たちを動かした。結果として私たちは今も毎週水曜日に必ずいわき市を訪ねているし、坂本さんは今も必ず私たちの活動場所に来て一緒に働いてくれる。
その彼が、2度目のいわき市訪問時に案内してくれた避難所が湯本二中だ。体育館ではなく、教室が地区や性別で分けられた居室になっていた。そこで、津波で家を流され、ご近所さんをすべて失ったおばあちゃんに出会った。「なんで私が生き残ってしまったのか」という嘆きを、ただただ手を握って聞くしかなかった。数度目の訪問の際に、またその方にお会いした。「またおじゃましました。炊き込みご飯、温かいうちに食べてくださいね。」「また来てくれたの?」「はい、あれから毎週いわきに来ていますので。」するとその方が、ぎゅっと私の手を握り、涙を流し、おっしゃった。「たきこみご飯を持ってきてくれたことよりも、東京から毎週来てくれていることがうれしいねえ。その気持ちがうれしくて、わたしももう一回生きてみようかな、と思えるよ。」・・・私たちのような弱小グループにもやれることがある、それは「継続すること」「そこに出かけていくこと」だと確信した瞬間だった。後日、避難所の責任者である湯本二中の校長先生から支援に対するお礼状をいただいた。
さて、炊き出しを続ける中で、坂本さんから紹介されたのが「桜色のほうき星会」だ。このグループを主宰する通称ビッグママは、今回の大震災の津波で、義理の妹さんと姪御さんを失った。その悲しみと、「ビッグママ、ビッグママ」と慕ってくれていた姪御さんへの思いから、経営しているインド料理店をベースに、炊き出しを中心とした被災者支援を行っていた。私達は幾度か避難所で打ち合わせをし、私たちが運ぶ炊き込みご飯に合わせて「桜色のほうき星会」がみそ汁やてんぷらなどのおかずを持ってきてくれて共に配食を行うようになった。
それだけではなく、私たちが東京災害支援ネット「とすねっと」の法律家と連携して各避難所を回り、炊き出しと共に生活・法律相談を受けていることを知り、ビッグママはお店を相談会場として毎週1回提供してくださった。
また同じように、いわき市に礼拝堂と活動拠点を持ち、炊き出しや物資支援を行っていた「グローバルミッションセンター」とも避難所でよく行き会った。同じ教会関係の支援グループということもあって、本部を訪問したりもし、物資支援などの面では協力していただいていた。7月27日にはいわき市で最後まで残っていた避難所(勿来市民会館)で、私たちのグループとグローバルミッションセンター、勿来市民会館の避難者の方々との共催でバーベキューと花火を楽しんだ。数ヶ月間顔を合わせ続けてきた者同士、ある意味では、間近に迫った避難所閉鎖、つまり別れを惜しむひとときとなった。
このように、この9ヶ月の間に、地元いわき市の支援者たちに出会い、つながり、支援の輪が広がっていった。のみならず、避難所や仮設住宅に暮らす方々とのつながりも「近所づきあい」のようになった。
今回の毛布の話も、「桜色のほうき星会」、「湯本二中」、「グローバルミッションセンター」とのつながりがあったからこそ生まれたものであり、私たちが「継続」を大切なこととして守り続けてきたことは、決して無駄ではなかったと思えるできごとだった。そしてその結果、合計500枚の毛布をいわき市から東京に運ぶことができた。いわき市の人々を温めるために各地から運ばれた毛布が、今度は東京に避難している人々を温めるのだ。
もうすぐクリスマス。救い主誕生のうれしい知らせが、野原で過ごす羊飼いたちにもたらされたことを思い起こす。住み慣れた町にも家にも帰ることができず、仮の住まいでクリスマスを迎える大震災被災者、福島第一原発事故被害者の方々のために祈りたい。
個人消息、報告、予定など
◆ミッシェル・ヒルダ基金
11月30日(水) 、ミッシェル・ヒルダ(故後藤みつゑ・八重子姉)基金の扱いについての委員会を開催しました。
◆2011年度教区墓地礼拝
11月2日(水)、小平霊園にて10時30分より行われました。当教会の墓前礼拝は教区礼拝終了後、12時より行われました。
◆幼児祝福式
11月13日の主日礼拝の中で、小学生以下の児童を対象に幼児祝福式が行なわれました。
◆故エリザベツ岡田初子姉の逝去者記念式
11月6日、エリザベツ岡田初子姉が神様の下に召されました。12月10日(土)、逝去者記念式ならびに「偲ぶ会」が当教会にて開かれました。40名を越える参列を頂き、式後に岡田さんの思い出を分かち合いました。
◆OMU☆CHAクリスマスライブ
12月11日(日)14時30分~16時、永田雄一兄がメンバーの一員であるアカペラグループ ”OMU☆CHA”のクリスマスライブが当教会聖堂にて開催されました。当日は、小さなお子様から年配の方まで来場され、ステージと一体となっても盛り上がる場面もありました。 “OMU☆CHA”についての詳しい情報は http://omucha.com でご覧いただけます。
◆ フリデリック合奏団(立大OB)コンサート
12月17日(土)15時~、フリデリック合奏団(立大OB)のコンサートが当教会聖堂にて開催されました。いっしょに歩こうプロジェクトへの献金箱設置。
曲目はバッハのコラール、ヘンデルのメサイア他。聖歌とメサイアを観衆とともに斉唱しました。
以 上