復活された主イエスに出会うために出かけましょう
管理牧師 司祭 グレース 神崎 和子
婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(ルカ24:5-6a)
主のご復活を共に祝いましょう。
十字架上で亡くなられた主イエスは、十字架から降ろされ、急いで、アリマタヤのヨセフの準備した墓に葬られました。なぜなら安息日が始まろうとしていたからです。
そんな緊迫した中でも、ガリラヤからイエスに従ってきた女性たちは、遺体が墓に納められる有様を見届けていたのです。イエスの死を受け止め、葬りを担ったのは、弟子たちではなく、ガリラヤから共に旅してきた女性たちでした。女性たちは大きな悲しみと共に、最期の葬りを行なうために朝を待ちかねて、香料を持って墓に行ったのです。非道に殺されたイエス様に対して一刻も早く、相応しい葬りをしたかったのです。
ところが墓の石はすでにわきに転がされているではありませんか。そしてイエス様の遺体が見当たらないのです。女性たちは途方に暮れ、茫然自失の状態です。彼女たちに向かって天使は告げます「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」
この天使の言葉こそ、彼女たちの気付いたことに他なりません。彼女たちは、墓が空であったという事実に直面することによって、かえって逆にガリラヤで生き生きと活躍しておられたイエス様の姿をありありと思い起こしました。そしてあの方は、今もなお私たちと共におられると実感し、「主は生きておられる」と叫び出したのです。
墓を前にして、死者の中にイエスを捜していた女性たちは、今や墓を後にし、新しい生へと歩み始めます。それはイエスの死にまつわる絶望と悲しみからの方向転換です。イエスを「生きておられる方」として報告するための方向転換です。死から生への道行きが始まったのです。
女性たちが行なった報告、それは、皆に告げ知らせる、復活の証言、宣教でもあったのです。
私たちもこの現代社会で、復活の主イエスに出会うために出かけましょう。イエスがいつも愛され、寄り添っている人々の所へ行きましょう。都会の片隅で苦しむ人、人びとから否定されて悲しむ人、孤独の中でうずくまっている人、心を病む人、そうした人々の只中におられる主イエスにまみえるために出かけましょう。そして喜びと希望を持って主イエスのみ後に従いましょう。
あの復活の出来事を知らせた女性たちのように、復活された主イエスが今も共に私たちの中にいてくださるという信仰を持って進んで行きましょう。
「あぶらむの会」の働き-私なりのその今日的意味-
あぶらむの会代表 司祭 クリストファー・ダビデ 大郷 博
「私の戒めはこれである。私があなた方を愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい。」 ヨハネ15:12
私、大郷博は司祭職を休職して教会組織を離脱して、27年間歩んできました。多くの意味で自分を育ててくれた教会に、自分は今、何を携えて戻ってきたのであろうか。
Ⅰ 自分をしてあぶらむの働きに駆り立てたものは何であったのか。
① 沖縄、フィリピン、ネパール等で出会った人々の現実とその生き方(生きる姿勢)――過酷と思われる現実の中にあって、与えられた人生を淡々と力強く生き抜く人々の姿。
② 立教のチャプレン時代、時代を背負う日本の若者たちの心の状態、ささやかな人生の負荷に心のバランスを崩す者、そして自殺を図った学生との出会い。何故そんなことでつまずくのか?
③ ①と②、この両者間の強烈なコントラストが私をあぶらむ構想に、そしてその実現に向けて駆り立てて行ったと思われる。
④ 教会の役割、牧師としての私の役割を考えた。人生のよき旅人づくり、転んだら起きる。人生いかなる状況の中にあっても自分の人生を肯定し、生きて、生きて、生き抜くこと。「人生には山坂がある。転んだら起きなさいよ」とハンセン病を病んだ人から教えられた。ハンセン病を病んだ人々から学んだことは生きることへの強い意志、与えられた人生を生き抜く姿であった。
⑤ このような流れの中で、私に中にはいつしか「教会宿屋論」なるものが芽生えて行った。
Ⅱ あぶらむの生活(一年を通しての季節作業)
【1月~3月】除雪作業、屋根の雪下ろし/雪害による倒木処理/冬材の切り出し/シイタケナメコの植菌作業/家具づくり
【4月~6月】田植え準備/田植え/畑打ち、種まき/草刈り
【7月~8月】学校・教会キャンプ受け入れ
【9月~12月】稲刈り、脱穀/秋野菜収穫/落ち葉集めと堆肥作り/薪作り(三年後に使われる薪)/越冬準備、
このような里山生活があぶらむでは営まれている。
Ⅲ この私たちの生活が現代社会においてどのような意味を持つのか。この意義づけ、位置づけがしっかりしていないと単なる田舎生活に終わってしまう。
① 日本の豊かさを支えるために多くの犠牲と苦難を強いられてきた沖縄、フィリピン、ネパール(私が出会った人々)への私なりのレスポンス。環境問題(広い意味での)への私なりの答えだった。それは生活の在り様を変える、生活の前提となるものを変える。(欲望との闘い、どこで満足するか、貨幣経済一辺倒の現実に対する問いかけ‥‥etc.)
② 成熟した社会を目指し、Counter Culture(対抗文化、補い文化)の形成。単一化社会の持つ危険性と弱さ。アラスカで出会った人々の生活の多様性(電気、ガス等の文明の利器なしでも豊かに生きる人々の生活と人生の姿勢)に学ばされた。原住民(イヌイット)だけでなく、本土から移り住んでいる人も。
③ 分断とひな型の喪失そしてその回復
都会と田舎の違い‥‥それは時間の違いであり、分秒時間と月年時間、分秒時間が人に与える影響、それは社会や生活の細分化そして分断化を引き起こす。TVゲーム等、バーチャル・リアリティと呼ばれるものが生み出す現実、特に現代が抱える問題を考える時、この分断とひな型の喪失、そしてその回復ということは今の私にとって大きな関心とテーマになっている。
このことはあぶらむの活動の一つの柱となっている家庭裁判所の少年補導委託制度を通してあぶらむへ送り込まれてくる「家裁少年」との生活体験を通して具体的に語ってみたい。
Ⅳ 想像力としての愛
① 家裁少年と少年補導委託制度
「補導委託」とは、家庭裁判所が少年の最終的な処分を決める前に、民間のボランティアの方に非行のあった少年をしばらくの間預け、少年に仕事や通学をさせながら、生活指導をしてもらうという制度です。
② 家裁少年に求められるもの、これは補導委託先に求められることでもあるのですが、被害を与えたことに対する謝罪の心を起こさせ、人間としての更生をはかることです。
③ どうすれば謝罪という心が芽生えるのか。どうすれば他者の痛み、悲しみ、苦しみが理解できるのか。
④ 私の中に今も残る一つの光景
――自分もハンセン病にならないと病者の傷み、悲しみ、苦しみが理解できない。ハンセン病者への愛故に自分は病者になってもよい。―― この言葉の不自然さと、それへの反発を感じたが、当時の私は反論する言葉を持ち合わせていなかった。
⑤ でも今の私はこう考える。「それらは想像力においてしか理解できない!」と。痛みへの想像力、悲しみへの想像力、苦しみへの想像力、そして、喜びへの想像力。愛するとは想像力である。想像力がなければ愛することが出来ない。
Ⅴ 人間から想像力を奪うもの
① それは早さと便利至上主義のキセル社会、そして、プロセス(過程)の喪失ではないか。都会と田舎の違い(分秒時間と月年時間)、バーチャルリアリティを生み出す現実。
② ひな型の喪失という問題‥‥育児放棄、虐待、子捨てといった親不在の中で、人生で最初に出会う大人がいない。人に対する基本的な信頼感はなく、或いは基本的不信感のみが育つ。周囲に大人が居らず、家裁少年達が見てきた大人は彼ら少年を食いものにする大人ばかり。自分を高める価値観(人、芸術)と出会っていないことが見て取れる。
Ⅵ 分断とひな型の喪失、そしてその回復を求めて‥‥あぶらむの試み
① 食事の大切さ(丁寧な食事)
エサと食事のちがい、料理は想像力のかたまりであることを知って欲しい。教会は「イエス・キリストとの食事にいのちをかけている」ことの事実を思い起こしたい。
② お米ができるまでのプロセスを丁寧にやること‥‥米や野菜の自家栽培を通して一つのものが出来るまでのプロセスをしっかりとトレースすること。薪割り作業は、今自分たちが使う薪は三年前にここに生活した人が残してくれたものであることを知って、私たちも次の人のために用意すること。落ち葉集めと堆肥づくりの作業をしながら、少年達はその中にカブトムシの幼虫がいることを見つけ、作業で殺してしまわないようにと小さな命を慈しむ心を起こす。
③ 人と交流し言葉を覚えることで感情表現が豊かになる。
④ 色々な大人と出会う中で、百人百様(色)の大人がいることに気付くことにより、固定化した大人への不信感が変化してゆく。この点で、あぶらむを訪ねて下さる人々は家裁少年にとって、貴重な役割を果たして下さる。
⑤ ものさしや定規、スミ線等「基準」となるものの大切さに気付く。「あなたは何を基準として自分の人生を積み上げていくのですか?」との問いが与えられる。
⑥ 人間社会で生き抜く術(skill)を伝える。
⑦ 「愛する」ということの実践。どんな裏切りがあっても見捨てない、あきらめない。やるだけのことをやってあとは神様におまかせする(お祈り)。
「私があなた方を愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」愛のひな型をもっている者としてのキリスト者の役割と責任がある。
Ⅶ これからの「あぶらむ里山生活学校」の創設に向けて
現在の私たちがしているあぶらむの生活を丁寧にしていくこと、そしてその生活をもう少し多くの青少年達と共有していくことが、分断され、ひな型を喪失した現代にあって、想像力を回復し、人間性を豊なものにしていく一つの手段、方法であると考えている。
大人版のカリキュラムを紹介すれば、先のあぶらむにおける四季の生活とレクレーション[冬の雪上ウォーキング、猪臥山(標高1630m)登山、春一番地(純日本酒)の会、冬は富山湾のにぎり鮨がうまい。春は山菜採り、渓流釣り、鯉釣り、アウトドアークッキング(石釜ピザ等)。夏は休みとし、秋は野麦峠・天生原生林のハイキング、食料調達(富山湾での釣り)]そして、もの作り[丸太で小屋をつくる(チョウハリ=直角の出し方、基礎の作り方等含む)、家具作り、豆腐作り、燻煙品作り、つけもの、味噌作り]や道具の使い方[木工電動工具の使い方、チェンソーの使い方、刃研ぎ、ユンボ、ホイールローダーの使い方、ロープワーク、その他田舎生活に役立つ各種道具]といった多様な体験を準備します。
Ⅷ 終わりに――教会との関係において
Two Biblical Fathes in the Bible
1つは「アブラハムの教会」‥‥出来事性の教会であり、もう一つは「モーセの教会」‥‥制度の教会である。今の教会に不足しているのは、神への信頼故に行く先を知らずして旅立っていった出来事性、ハプニングとしてのアブラハム(アブラム)の信仰姿勢であると思う。
「心を使っている人と心に使われている人」という観点で周囲を見渡すと、「心に使われている人」が多い。「心を使っている人」とはどんな人か? 死にもの狂いとなり、本気になってもの事に立ち向かう時、そこに人知を越えた世界、出来事が起こるということを私は体験的に知った。そのような姿勢で生きる人が「心を使う人」だと私は思う。その意味ではアブラムは心を使う人、祈りの人、神への 信頼を実践した人だったと思う。
自分の心を使い、神への信頼故に行く先を知らずに旅立ったアブラム、神はそのアブラムを豊かに祝福し、未だ見ぬ約束の地を与えて下さった。そのことの証明のためにも私たち「あぶらむの会」の働きは大切な試みと信じている。
老いの旅路
執事 テモテ 鈴木 育三
小生の裏庭には、いま春の近づきを告げる「まんさく」、「ねこやなぎ」が咲いています。「レント(大斎節〉」のシンボル・フラワー「レンテン・ローズ」も咲き始めました。草花は、春の日差しにむかって成長し続けています。私たちは、人生の四季の旅人です。
ヘンリー・ナウエンは、「年齢を重ねることは、光に向かって成長すること」と語っています。老いの旅路は人生の成熟の輝きと多様な彩りのあることをしめしています。
ヘルマン・ホイヴェルス神父は、『人生の秋に』と題する随筆集に「実ることは、人生の全てではないでしょうか。時間の畑で心の実を結ぶこと。だが刈り入れが豊かであるか貧しいか、それは収穫の主である神だけがご存知です」としるしています。在日生活の永かったヘルマン・ホイヴェルス神父は、<年をとるすべ>の章で南ドイツの友人から贈られた「最上のわざ」と題する詩を紹介しています。
「この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれど黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず。人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後の磨きをかける。
まことのふるさとへ行くために。おのれをこの世につなぐ鎖をすこしづつはずしていくのは、まことにえらい仕事。こうしてなにもできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。
手は何もできない、けれども最後まで合掌できる。愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
すべてを為し終えたら、臨終の床に神の声を聴くだろう。
『来れ、わが友よ、我なんじを見捨てじ』と。」
近頃、つくづく人生は「旅」だと思うようになりました。G.マルセルは、『旅する人間(home viator)』と題するエッセイを記しています。私たちの旅は、何処へと向かっているのでしょう。
古くから、「旅人の神学」(Theologia Viatorum)があるそうです。そういえば、信仰の祖父アブラハムをはじめ、旧約の民は「旅人」でしたし、主イエスも、また旅の人でした。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」、「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない」と、十字架の道へと旅をつづけられました。
人生の旅路は、決して平坦な道ではありません。さまざまな危機に遭遇します。一人ひとりの人生行路の地図はありませんし、マニュアルもありません。まして「ナビ」などはありませんからね。ただ、私たちには、主イエスが示された「道(via)」があります。この道は、決して楽な道ではありません。ただ究極な方向を指し示す「信仰」という羅針盤があるのみです。
老人施設は旅立ちの準備をする「天国の待合室」などといわれます。人は老いてゆくことを悪いことと思っていて、こんなに成っちゃって、人に迷惑をかけてと嘆き、早くお迎えが来て欲しいなどと言う。そんなとき、私は「心配いりません。お迎えは必ず来ますから、そんなに急がないでその時まで生きましょう」と返します。ある徘徊老人にどこに行こうとしているのと聞くと、「極楽への道を探している」との応えが返ってきた。
先頃、NHKの「こころの時代」でエリザベス・マッキンレーさんの働きが放映されていました。彼女は、看護師であると同時にオーストラリア聖公会の司祭です。看護の道をめざしたエリザベスは、全人的ケアをするためには、スピリチュアルケアが必要であると、神学を学び、36歳の時に聖職としての働きを開始しました。それは、彼女が出会う人々が〈生きる意味〉を見失っていることに気づかされたからでした。そんななかで、出会い寄り添った認知症を発症したC女史は認知症で死ぬ時に私は誰になっていくのだろうと自問し始めてから、いかに毎日前向きに生きるかを学ぶ長い旅を続けてきた。そして今、私はまだ私であるだろうと気づいた。それは永遠なる自己、魂としての私である。私の魂が私なのであり、常に私であり続けるだろう。痴呆によって踏みにじられてもなお、私の魂は損なわれることなく、神が私の中で働くための第一の拠りどころとしてあり続けるだろうと著書『私は私となっていく』の中で述べている。
人は老いる過程で失うものが多くあるが、一番大事なものが残る。それは父の下へと帰っていくこと。私達は「永遠にあり続ける者」(出エジプト記3章12―15節)と共に歩み、私は私となっていくのです。
旧約の知者は、「わたしに聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」と詠っています。(イザヤ書第46章3―4節)
最近、永い間作者不明といわれていた「あしあと」と題された詩を書いた作者フィシュバック・パウルスの著書を読みました。次々に人生の危機に出逢った著者が、神のなさる不思議な出来事によって危機的状況を乗り越えることができた証しが綴られていました。
人生の旅路の途上で、困難に遭遇したとき、わたしたちに同伴する主イエスの姿を記した「あしあと」の詩を紹介しましょう。
原題”Footprints”
「ある夜私は夢を見た。私は主とともに渚を歩いていた。暗い夜空にこれまでの私の人生が映し出された。どの光景にも砂の上に二人のあしあとが残されていた。一つは、私のあしあと、もう一つは、主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。私の人生で一番辛く悲しい時だった。このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。
主は、ささやかれた。
「私の大切な子よ、私はあなたを愛している。あなたを決して捨てたりしない。ましてや苦しみや試みの時に‥‥あしあとが一つだった時、私はあなたを背負って歩いていた」と。
この詩に対応するかのように、小生、20数年高齢者の生活施設で多くの高齢者の方々と出会う機会を与えられてきました。「俺はもう欲はないな。ただ残された日々を美しく歩きたい」と語ってくれたMさんは、自分に与えられた日々を彼なりに精いっぱいに生きぬきました。身体的には、前立腺癌が進行していましたが、越し方を回想するかのように、これから訪れる時を見極めようとするのかその瞳は静かに落ち着いていました。多くを語らず、さながら瞑想に耽っているかのように思えるMさんの姿から、老いた人の宝はその精神の静謐にあることを知らされました。また、家族から、「グランマ、グランマ」と愛され94歳で亡くなられたYさんは、高齢者ホームで過ごされた日々を次のように記しています。
「顧みれば、まことに長い人生でありました。それはまた、楽しい人生でした。多くのよい友人たちに恵まれ、よい知己を得、掘っても掘り尽くせない宝の山の上に今立っています。惜しみなく与えられた愛情と援助の手がいつも私の周囲にはありました。いつも静かに一日の業を終えた時、『わがめぐみ、汝にたれり』との神の御聲を聴くこのごろです」と記されていました。
老いの旅路は、天の家庭への道程であります。私たちのホームの「Mortuary」には、サラ・G.ストックの詩が掲げてあります。
「家には一人を減じたり、楽しき団攣は破れたり、愛する顔いつもの席に見えぬぞ悲しき。さはれ、天に一人を増しぬ。清められ救われ、全うせられしもの一人を。
家には一人を減じたり、帰るを迎ふる聲ひとつ聞こえずなりぬ、往くを送る言ひとつ消え失せぬ。さわれ、遥か彼方に我らの往くを待ちつつ、天に一人を増しぬ。
家に一人を増しぬ、分かるること断えてなき家に、一人も失なはるることなかるべき家に。主イエスよ、天の家庭に君とともに座すべき席を我らすべてにも与えたまえ」
ヘルマン・ヘッセは、著書『人は成熟するにつれて若くなる』で、老いていく人のありかたについて、次のように語りかけています。「そして、私たち自身の絵本を注意深くめくりながら、あの疾駆と狂奔から逃れて『ヴィータ・コンテンプラティーヅ』(vitacontemplative)、すなわち『静観の生活』に到達したことが、どんなにすばらしく、価値のあることであるかに驚愕するのである」と。さらにつづけて「ここ、この老人の庭には、昔ならその世話をすることなど考えもしなかったたくさんの草花が咲いている。そこには忍耐の花というひとつの高貴な草花が咲く。私たちはしだいに沈着になり、温和になる。そして介入と行動への欲望が少なくなればなるほど、自然の生命や同胞の生命に関心をもって眺め入り、耳を傾け、それらが私たちのかたわらを通りすぎるとき批判することなく、その多様性にいつも新たな驚きをもって、時には同情と静かな憐れみのきもちで、時には笑いと明るい喜びをもって、ユーモアの心をもって眺める能力がますます大きくなってくるのである」と、年をとっていくことは、美しく神聖な使命であり、死ぬことを学ぶことは価値の高いはたらきであることを知らしめています。
2013年度受聖餐者総会 報告
2013年度の受聖餐者総会が2月3日の主日、正午から開催されました。議長の管理牧師 神崎和子司祭は当日の午後から海外出張を控えていたため、開会の挨拶と2013年度の展望をお話しになった後、退席され、その後は成 成鐘司祭が議長を代行して、総会が進められました。
各活動の報告後、提出されていた各議案の協議が行われ、五つの議案(決算、予算、ヒルダ・ミッシェル宣教活動、牧師館修繕、オルガン購入)が承認されました。
会計担当委員からは、通常会計は来年度も赤字が見込まれるため、特別積立金及び建築資金からの取崩しが必要となることが報告されました。
信徒数・月約献金の減少により、私たちは財政状況が厳しい状態に置かれていますが、「ヒルダ・ミッシェル宣教資金」という大きな贈り物を与えられました。この資金を用いて、2013年度はさらに新しい活動を始めます。
ヒルダ・ミッシェル宣教活動は、2012年度より「ヒルダ・ミッシェル文庫」を開設しましたが、この働きとともに、2013年度は「信徒講座」を開く計画です。新しい活動を進める中で、私たち自身も学びを深め、未来に踏み出す勇気を与えられるものと思います。
時間の制約もあり、議論を尽くすことはできませんでしたが、ミカエル教会が抱えている現状を皆で認識し、これからの課題を確認することができました。総会の場で話し合われたことを生かすためにも、信徒一人ひとりが担うことのできる働きを見つけ、ミカエル教会の交わりを強めてゆきたいと思います。 (布川 悦子記)